コンサートでよく歌う曲の中に、「知床旅情」があります。
☆アルビレオ☆がもともとレパートリーに入れていたというよりは、訪問する先々でリクエストされることが多くて、自然に☆アルビレオ☆の持ち歌になったのです。
今月のコンサートでは「知床旅情」を演奏するので、この歌の背景を調べてみました。
これまでは歌詞を確認する程度でこの歌の事を知っているかのように思いこんでいました。
するとこの曲には深くて温かなエピソードが秘められていたのです。
森繁久弥さん作詞作曲の「知床旅情」は、加藤登紀子さんが歌ってヒットしたことで有名になりましたが、原曲は「さらばラウスよ」という曲です。
いまから遡ること54年。
昭和35年に「地の涯に住む人」という映画のロケの為に滞在していた森繁さんは、
羅臼村の人々が、映画の撮影にだけでなく、ロケ隊一行にとても親切に、親身に接してくれたことに感謝して、その地を去る日の朝、400人の村民を前に、歌詞を書いた模造紙を貼って、歌を披露したのだそうです。
http://shiretoko-tokyo.tabilog-hokkaido.jp/article/0025182.html
羅臼発 世界遺産知床情報には、こんな風にその時の様子が紹介されています。
「ロケ隊が去る昭和35年7月17日の朝。
森繁さんはロケ隊の泊まっていた栄屋旅館の玄関の窓に1枚の模造紙を張り出したのです。
模造紙には、「さらばラウスよ」とタイトルが記され、さらに
「知床の岬に ハマナスの咲く頃 思い出しておくれ おれたちの事を」
という文が続きます。
別れを惜しんで集まった400人ほどの羅臼村民の前に、ギターを抱えた森繁さんと、共演の草笛光子さん、司葉子さんらが並びます。
そこで森繁さんは、こう語りかけます。
「今、日本の国では、人情が紙より薄いと言われていますが、羅臼のみなさんの人情の機微に触れさせてもらって誠にありがとうございました。後々(のちのち)の羅臼の人々のために歌を作りました。みんなで歌って別れましょう」
そうです。森繁さんから羅臼の村人に贈られた歌。それが、『さらばラウスよ』、今の『知床旅情』なのです。
羅臼村の人々のために、感謝の気持ちをこめて作られ、演奏された曲でした。」
「感謝」から生まれた歌は、聴く人だけでなく演奏者をも、温かなもので包んでくれるのもなのですね。
一つ一つの曲には、その誕生のエピソードがあって、魂があるのだと感じさせられます。
特に人々に長く愛される曲の多くは、こういう、消えない光りを携えて生まれてくるのかもしれません。
これからもこの曲を大切に、その時の人々の絆を、演奏を聴いいてくださる方につなげるつもりでの演奏したいものだと改めて思わされた朝でした。
☆(*^_^*)☆どうぞあなたも今日も良い一日を☆
追伸:写真はお弁当です。知床旅情と関係ある者・・・お魚が入っていることぐらいで、内容と関係なくてゴメンナサイ・・・
感謝して、いただきますm(__)m