「死」についてもそうですが、普段から真剣に考える人はいないでしょう。
ただ、大切な人もしくは自分自身が年齢・体調を問わず何時そうなってもおかしくはない事で、それなのに、そうなった時の対応策が今の日本では不完全です。
医療が発達して死亡率は低下しています。しかしその中に「遷延性意識障がい」になられた方も含まれてのことです。母が倒れ、管理人はまず「生きてさえいてくれれば」と思いました。自発呼吸ができるようになり、人工呼吸器が外れ一安心したのも束の間、病院から入院期間は最長3ヶ月なので転院するか在宅に移行するか決断を迫られました(病気・交通事故等状況によって入院先が異なります)。
家族としては回復のため治療やリハビリを受けさせてやりたいと思うのに、なかなか受け入れ先がみつかりません。少しでも長く側にいてやりたいと思いながら病院探しに時間を費やしました。
なかには「申し訳ないがウチは無理だけど、こちらに聞いてみれば」と親切な方もいらっしゃいました。が、一日何十軒とかける電話の多くは冷たい事務的な対応でした。
管理人は善意の細い、細い綱渡りの連続でした。「ひとりじゃない」と思えるのは勇気づけられるし、本当にありがたい事です。わかばの会報誌は心の支えでした。
「命は助かった、なのに・・・」では悲しすぎます。「生きてて良かった」と遷延性意識障がい者・家族が心から思えて安心して生活できるよう、
行政機関や社会に呼びかけていかなければなりません。