くつろぎの家らくを開所して7年間、利用者を御世の国に
見送ったのが一人も出なかったのが自慢だったが
そろそろその自慢が敗れかかって来た。

先月自宅で倒れ腕を骨折した利用者さんが力尽きて
入院をしてしまった。

一時気力が出てきたと思い、思わずハグをしてあげたのに
結局は尽きてしまった様だ、というより家族が根をあげてしまったのが
現実です。

以前から死ぬのは自宅でと強い希望があり、らくとしては出来る限り
利用者の想いを受け入れ、往診出来る先生にお願いをしたり、その方の
希望が叶えられるように主治医とケアマネジャーさんと家族との決めごと
をかわした書類を作ったりもしたが、あっけなくも利用者さんの希望を
家族はいとも簡単に覆してしまった。

症状が悪くなりこの土曜日頃から、意識が遠のきはじめてきた。
今まであまり、お母さんに関心を示さなかった姉妹が突然
「苦しそうな顔のお母さんを見ているのが可愛そうやから救急車を呼んで
下さいと折角日曜日なのに駆けつけてくれた主治医に嘆願して様です」

先生は意識が無くなっているから何も処置をしなかったら、そのまま
逝ってくれると判断した様ですが、「私が駆け付けると先生が来てくれても
何もしてくれないし、家族もこれ以上介護出来ないので救急車を呼びました」
って言われた。

嫁いだ娘にとって母親の存在は気になっていても深くかかわりが持てないのが
現状かもしれない。
母親にとって手塩にかけて育てた娘は可愛いものだし、病に倒れたら
介護をして欲しいものかも知れない。
でもおやの介護も子育ても同じ思いが必要なのかも知れない。
私が思うは、一生懸命子育てをした代償が介護に反映するのではと
思うようになった。

震災後市役所で相談窓口をしていた時、年配のお母さんと娘さんが
お見えになった。
家が壊れ長年母と一緒に暮らした家の建て替えを考えているが
資金のめどが立たないとの事でいた。

私は一人娘で大切に育ててもらったので母にお返しをしたいのです。
母は、将来娘に面倒を見て欲しいので大切に育てましたとの事。
そのことを聞いて、私も一人娘だし、将来娘に介護をしてもらいたい
だったら元気なうちから娘を大切に育てないと私が年をとって動けなくなった時
ほったらかしにされてしまう。
そのような思いに駆られた。
その事がきっかけで私は娘を大切に育ててきたつもりです。

子育てと介護は同じの様な気がする。
ディサービスの仕事を通じて色んな人間性を見つめる事が出来た。
娘がママって大切に介護をする人や、毎日曜日母親の顔を見に来るだけで
何もしないで帰って行く人やいろいろの家族形態を見た。

寝たっきりになった親の介護は24時間目を離せないかもしれないが
急に急変したら病院に入れてしまうのが本当に良い介護なんでしょうか、
人間尊厳って何なんでしょうね、自分たちの生活もあるから、もう倒れそうになった
から病院に入れてしまう、そんな事で親のたっての願いを無残に打ち砕いて
良いのでしょうか、
子育ても、夜泣きしたら寝ないであやしたり、ミルクを飲まして育ててもらったのに
その恩をすっかり忘れてしまうのなんて許せない。

主治医は一言
ぽつりと言った。「日頃世話をしない人に限って人の心を踏みにじってしまう、侵害だ」って、解る、許せないでもそれが現実なのかも知れない。

ここの生活を大切にしてかないと今の状態を存続出来ない、
仕事を休んでまで親介護をする余裕がない。
すべての余裕を今の社会では生きていけない。

こんな社会に誰がしたのでしょうね。