今日は敬老の日、
でも認知症介護の家族には、祝日であっても関係の無い事なのかも
判らない。

問題になっている在宅介護の現状が悲惨な状態である。
限られた年金生活、余り余ったお金はほんの限られた人と言っても
過言では無いと思う。

実は、日曜日と月曜日の宿泊利用者が有りました。
その利用者の家族で急な用事が起こったのであろう。

ショートステイの事業所を利用するには、約二ヶ月前からの予約でないと
利用が出来ない。
でも、急な用事は生活をしていたら起こりえる事である。

たとえば、結婚した子供が里帰りをした場合、
折角里帰りしたからゆっくりと話がしたい、でも介護をしなければ
行けない家族がいたら、どっちつかずになってしまう。
介護は休みなく必要だ、でも里帰りした子供との時間も作りたいけど・・・・・

そんな時の家族の息抜きをして頂くのがくつろぎの家 らくの
サービスでもある。

私はお年寄りが好き、特に認知症のお年寄りは可愛いい。
何の屈託も無く子供のようになって行く姿を見ていると愛おしくなる。

長い人生
一生懸命生きてきた生きざま見させて頂くと、少々の事は許したくなる。

実際は家族の負担は大きいと思う、でも、らくは人間尊厳を実行している。
その人らしい生き方を認め、それにお手伝いをさせて頂く
サービスを提供しています。
最近、利用者獲得のためのいろんな手段を講じている事業所が
軒並み出没している。

広いホールで雑魚寝のように布団を引き締め男女一緒に泊まりを提供
しているフランチャイズ店が介護業界にも進出してきた。
安ければよい、これって良いのかな。

私が介護者であったら、こんな人間扱いをしていない事業所に
大切な親を預けたくない。

昨夜、一緒に泊まりをして頂いた、お寺の奥さんが
「寂しくなったよね、親が亡くなってもお葬儀をしないで、病院から
直ぐに火葬場に運ぶんだよ」

これってどうなの、「長年親しんで来たお経も上げないんだよ」と嘆いていた。

確かに親子関係が希薄になって来ている。
子供の虐待、おやの虐待、虐待の言葉は私がこどもの時は無かった。
でも今は通常の言葉になってしまった。
これって、戦後、高度成長期には仕事をすればお金が唸るほどてに入る。
子育てをするより社会に出て仕事をしたらより豊かな生活ができる。

団塊世代の子供達は、学校から帰っても母親がいないのが
当り前で成長をしている。
親とゆっくり出来るのは、休みの日のみ、さみしい思いを我慢して大人に
なると感性が豊かな人間には成長しないのでは、
だから、自分の親が高齢者になって介護を必要になった時には
実際に血の通った子育てをしてもらっていないから
親の介護もずさんになるのでは。

らくの自負は行きとどいた介護を目指しています。
お泊まりの料金は少し高めに設定をしていますが
生き届いた介護を致したます。