13.14日は大阪会館で、研究論文指導の講座に行ってきました。

田原先生の指導のリアリテイーのテーマで論文研究が始まって
もう9月になってしまった。

なかなかリアリテイーの意味が理解できなくて、
レポート提出の期日が来ても「ブーブーとリアリテイーの使い方がわからないので
書けないと文句」を言いました。

先生が言うリアリテーは過去と現在を比較検討し
共有し合える接点を見つけることだそうです。

認知症介護の中から、リアリテイーが見つけられないか
さぐって見たい、そのことを概要設計に書きあげて
発表しようとしても、うまいこと自分の思いを伝える事が出来なかった。
教授は認知症介護はもう一般化されているので
いまさら「何でそんなことにこだわるのかともいわれた」
らくの利用者の事例は、どこを探しても当てまる事例は見つからない、

介護認定者の家族の苦労は計り知れない現状を見ていると
何とか、糸口が見つける事が出来ないかと資料をいろいろ調べて分析
して見たい。と思っていても言葉に出せない、私は追いつめられると
口ごもってしまう癖がある。

その時です、
同席の昨年度の先輩が助け舟を出していただけた。
その方は、現在神戸大学の大学院に進まれて、やはり認知症の
研究論文に携わっておられる女性です。

「過去の文献を読みあさってその中に訴えたいものが見つかるのでは」
とアドバイスをいただいた。嬉しかった。

わたしは、介護保険が始まる前と、介護保険のない時代の介護の実態を
比較検討してみたいと思うのです。

昔は、何所帯同居で多所帯が同じ屋根の下で生活をしていたのが

有し合える接点を見つけることだそうです。
らか「当り前ではないのですよ」と言いたい。

大人になれば、別所帯になってしまい、親の介護は、他人任せになっている。
だれのおかげで「今のあなたがいてるのですか」と言いたい。
親の不安は誰もわかりません、でも、家族だったら不安を分かちあって
ほしいと願っているもんなんです。

昭和の時代にあって平成の時代で無くなってしまったもの
其れがリアリテイーなのかも知れませ。

そのようなことを調べる必要があるのか、そんなの研究課題になるのか
解らない、でも私の今殺伐とした時代に生きて行かねばならない者の
使命かも知れない。
古き良き時代を思い出して、失われていく人情をもう一度
介護の中で見つけていきたいと思い
あえて、難しい昭和、平成の家族構成の中から
家族の在り方を資料と本を読みあさり解読と分析をして
論文を書きあげたい。

年寄りは、愛する家族にみとられて、旅立ちたいとだれもが
願っているのです。
「誰のお陰で今のあなたがいるのって」って聞いたら、
「親だから当たり前でしょ」って言うのだったら
しっかりと軸足を立てて生きていきたいと
願っています。