♪「あびこ女性会議」も参加しましたぁ〜\(^o^)/ 市民活動フェアinあびこ2009

(%音符2%)★みんなで遊ぼう! “ジェンダーかるた”取り大会 
2月28日・3月1日の両日行われ、大変好評だった。\(^o^)/
カラフルに仕上げた歌留多は、A4サイズでフイルムコーティングし、バージョンアップした。展示用にも使えるのでご希望の方にはお貸しできるのではないか。

(%音符2%)★“関白宣言”よ さようなら!〜男女共同参画社会を生活感覚で語る〜
さだまさしの「関白宣言」の歌声の流れる中、なごやかな雰囲気ではじまった。(^^♪
♪お前を嫁に・・・で始まる、さだまさしの歌で「関白宣言」—1979年は知っている人が多い。しかし「関白失脚」1994年は知っている人は少ないように思う。かく言う私も歌詞はうろ覚えで題名は記憶になかった。m(__)m

(%音符2%)♪お前を嫁にもらう前に・・・79年から、♪お前を嫁にもらったけれど・・・94年までに見られる変化を、男女共同参画の視点で読み解こうというお話。
講師の内海崎貴子さんは我孫子市にある川村学園女子大学の準教授で、専門は男女平等教育とのこと、女性学の講義の中で生徒にこの「関白宣言」の歌詞のどこがイヤでどこが良いのかを聞いたところ。

●♪【関白宣言】資料1:歌詞
*全体的に命令口調がイヤ。
♪お前は先に寝てはいけない、後に起きてもいけない⇒いつ寝るの?。
♪仕事もできない男に⇒仕事のことしか頭に無い! 
♪姑小姑⇒結婚したのは夫で姑小姑はイヤ。
♪俺は浮気はしない・ちょっと覚悟はしておけ⇒するじゃないの。
♪俺より先に死ではいけない⇒介護をさせる気?
♪お前のお陰でいい人生だったと⇒死ぬ時に言っても遅いの。
*良いところ:♪幸福は二人で育てるもの。

●♪【関白失脚】・変化した。資料2:歌詞
♪俺の本音・俺より先に寝てもいいから・仕事もできない俺・頑張ってるんだよ 俺なりに⇒競争から降りても俺なりに頑張っている。
♪仕事という名の戦場へ行く⇒男性は仕事、がまだ残っている。
♪俺には俺の幸せがある・世の中思いどおり生きられない・下手くそでも一生懸命生きている⇒淋しいけど頑張っている・俺の幸せ。
*良いところ:♪それでも家族になれてよかった・俺には俺の幸せがある。
*学生たちは、淋しいけれど頑張っている父親をイメージしてイヤな感じは持たない。

●【1979年—関白宣言と1711年ー貝原益軒(教女子法)との比較】資料3:教女子法
*女子の嫁する時⇒♪姑小姑かしこくこなせ
*婦人には3従の教えあり⇒♪家を捨ててくるのだから、帰る家は無いと思え。
*女に四行あり⇒♪口出しせず、黙って俺についてこい。

●【時代的背景】資料4:女性差別撤廃をめざす動き(国連・日本)
79年—女性差別撤廃条約採択(国連)から95年—北京会議行動綱領採択まで79年—95年の15年間(※資料4:抜粋参照)に、飛躍的に法整備が進み、人々の意識にも少しずつ変化が現れてきたことが、「関白失脚」の歌詞にも反映されている。
関白失脚—1994年代は、男性が仕事と家庭の両方に足をかけるようになった時期でもある。
歌は、世につれ・・と、時代を映す合わせ鏡のように変化を映し出して結構おもしろい。
皆さんも、両方の歌詞をくらべてチェックしてみませんか。(^^♪

●【良妻賢母から、新・新良妻賢母へ】
「男は仕事、女は家事育児・地域活動」の性別役割分担から、新・新良妻賢母になると女性は、仕事・家事・育児(介護)・地域活動(趣味)男性は、仕事・家事・育児(介護)というように男女とも仕事と家事育児を分担していくようになってきたが、地域活動はまだ女性が担っているという調査も出ている。

*2004年の調査では、家庭に於ける最終決定者について、妻の決定権は家計費の管理、貯蓄・投資、夫の決定権は妻の就職・転職、家庭全般、土地・不動産管理となっていることが分かり、妻の決定権は家計の管理などごく一部に限られている。
*家庭での男女共同参画を進めるために大事なことは、①夫婦のコミニュケーションを高める。②家事・育児への抵抗感をなくす。③家事・育児への評価を高める。④労働時間の短縮、などがあげられる。
*これからの時代は女も男も仕事を持ち、2頭立ての馬車のようにバランス良く生活していくことで一方がコケても支えられる生活(ワークライフバランス)をめざしていきたい。

※資料4抜粋:79年—女性差別撤廃条約採択(国連)、婦人問題企画推進本部(総理府)・76年—国連婦人の10年始まる・離婚後の氏の自由選択(民法)80年—国連婦人の10年(中間世界会議)・81年—ILO175条約家族的責任・採択・85年—国連婦人の10年最終世界会議・男女雇用均等法成立・女性差別撤廃条約批准・発効。89年子どもの権利条約採択、高等学校家庭科の男女必須(新学習指導要領告示)90年—ナイロビ将来戦略見直しと評価・採択。92年—育児休業法施行、初の婦人問題担当大臣任命。93年—女性に対する暴力撤廃宣言(世界人権会議)⇒94年ILO175条パートタイム条約採択(国連)、男女共同参画室(総理府)、95年—第4回世界女性会議(北京宣言・行動綱領採択)
*聞きとりの要約です。間違いなどありましたら指摘してください。文責:渥美(記録は改めて会報に掲載)