私が船橋にやって来るわけ

(この記事は「船橋市本町通りきらきら夢広場ブログ」と連動しています)

昨日は宮城県東鳴子で行われた「突撃パフォーマンス」というのを見に行き、帰りが遅くなってブログが書けませんでした。残念。
(右は限界狭間アーティスト・新藤武吉さんによる「空書」パフォーマンス)。

ところで、私がなぜ仙台などから船橋までやってきて「きらゆめ」を盛り上げることになったのか。その秘密はこの東鳴子にあります。

今回、私を呼んでくださっている「きらゆめ」参加団体のひとつでアートNPO「コミュニティアート・ふなばし」と東鳴子ゆめ会議とは、アサヒアートフェスティバル(AAF)というところでごいっしょしているのですが、昨年の東鳴子での企画「光の盆」にコミュニティアート・ふなばしのみなさんに来ていただき、左のように、潟沼という日本一酸性度の高い湖に毛糸の虹をかける練習にまでつきあっていただいたんですねー。このときは本当にお疲れ様でした。

そんなこんなでおつきあいが始まり、千葉県八街市にある特養老人ホーム「風の村」の巨大な庭をつかった展示と、老人ホーム内にある喫茶「アルルカン」での「千葉クリエイティブクラスター(CCC)円卓会議」に参加させていただいたり(ちなみに今年10月14日には「風の村保育園」で、最近東鳴子に来ていただいたドラマー・坪井洋さんらによるジャズコンサートがあります)、昨年の「きらゆめ」では船橋だけに船で街に橋をかけようと「きらゆめ」参加団体のみなさんに紙で船をつくってもらって、通りに設置したりしたりと、アートによる地域間の草の根ネットワークが千葉と宮城ではじまっているというわけです。

ところで、この「コミュニティアート」というのはなかなかすぐれた言葉で、私も「まちとアート」をテーマに昨年くらいから自覚的に取り組むようになったのですが、「まちとアート」って、英語でなんていえばいいのかな〜と考えていたら、「コミュニティアート」なんですね。すばらしい。これでは知らず知らずのうちにお近づきになっているわけです。

ではなぜ私が「まちとアート」というテーマで活動しているかといえば、どこかアトリエのようなところで、自分の個人的な思いや感性を表現するためにうんうんうなって制作を行い、そうしてできたものを、私のことや、私がどんなに苦労してそれをつくったかも全然知りもしない人に見せる、ということがえらく異様なことに思えてきたことがあったわけです。そして考えてみるともちろん、それは見せる方だけじゃなく、そんなもの見せられる方にとっても事情はおんなじなわけです。

私は右のような、いわゆる絵を描いていて(もっと見たい方はこちらをどうぞ)、こういう写実的な絵を「リアルだなー」と思ってがんばって描いていたのですが、あるとき、どうもそうしたものよりリアルなものがあるような気がしてきたわけです。

そのきっかけとなったのは、2003年、仙台の「仙台七夕」を舞台に行われたアート・プロジェクト「TANABATA.orgアート・プロジェクト」だったのですが、これに参加したことを境に、いつしか毛糸やその街にある何かを使って、街の方たちといっしょにつくるようになり、完成度とか何とかというより前にもっと大切なことがあるような気がしてきたのです。それはそれまでとまったく別の次元での「リアルさ」でした。
ではいったい何が私にとっての「リアル」なのか、それは次回にゆずりたいと思います。

(コメント:門脇篤