私がリアルだと感じるもの

(この記事は「船橋市本町通りきらきら夢広場ブログ」と連動しています)

お疲れ様です。門脇です。
というわけで、一昨日のお話のつづきです。
私はその頃、毎日仙台の郊外に広がる田園地帯に出かけて行って、納屋の絵や何かを一生懸命描いていました。そして自分がいいなぁ、すばらしいなぁと思ったものを写実的に、つまり「リアルに」描くことにすべてをかけていました。
この「すべて」というのは冗談でも何でもなく、ほとんど文字通りそうでした。家族や親戚からは「絵を描くのが一番大事なんでしょ」ともうそっぽを向かれ、本当に人でなしのような状態だったんですが、自分としてはもうとりつかれていたんですね〜
しかしまぁ「人でなし」とか言われても、というか、言われれば言われるほど、ますます人っていうのは、聞く耳もたずというんでしょうか、なんですよねー。

ところがあるとき、仙台の街中を使ってアートをやる、とか言い出した人がいて、この人が宮城教育大の先生なんですが、仙台七夕でごったがえすはずの仙台のアーケード街で、唯一閑散としている場所に目をつけ、そこでアートを使って町を活性化するとか何とかうまいこと言ってアートやろうという魂胆なわけです。
私もどういうわけか誘われて、おもしろそうだなーとこれに参加することにしました。
ひとり一軒、気に入った店をさがして場所交渉をして、展示してくださいとかいう内容だったんですが、私はなんかひとつの場所に、というのがどうも違和感があって、町でやるんならばーっとやりたいと、どうしてそう思ったのかわかりませんが、どうしてもそう思え、仙台七夕ですので、「願い」に関するテキストと、いろいろなお店にあるものとをかけて小さな作品を多数設置していくことを考えました。
たとえば、コーヒー豆のお店では、「私の願いは豆ほどたくさん」というテキストと、そのお店でいただいたコーヒー豆を、カードを入れるような透明のビニールに入れて、お店のどこかに展示してもらう。これをいろんなお店でやることにしました。
ところが、まぁ、私もずっと絵ばっかり描いてたわけで、それこそ人と話をするのが苦手な上に、「願いに関するテキストとお店のものをひとつのビニールに入れて…」とかわけのわかんないことを、アートの「ア」の字も日常にはないような方々に説明するわけです。
いきなり最初に行ったお茶屋さんで、10分くらい説明した後、「悪いんだけど、言ってることが全然わかんない」とか追い返され、がくぜんとしました。
でもまぁ、企画書も出してしまってますし、A型ですから、口下手とはいえがんばるわけです。すると、「いいよ」とか「おもしろそう」とかいう、いわゆる奇特な方も中にはいらっしゃるわけです。これにはたいへん励まされました。はっきり言って、「うまく絵が描けたなぁ〜」なんてもんじゃない喜びでした。

何かよくわからないものに「わかんないけど、おもしろそうだから、やってみよう」というあの感覚。これが、おそらく私が「まちとアート」をテーマにやっている取り組みの原点であり、永遠のエネルギーの源ではないかと思います。
結果的に、このときは多くのお店に協力していただくとともに、宮城や仙台をモチーフに、アーケード全域にもいろんなマルチプルの作品を設置し、七夕に訪れた観光客には好評だったのか、毎日あっという間になくなってしまい(別に持ってっていいということにはなってなかったのですが)、補充するのにえらく忙しかった記憶があります。

その後も仙台の街中を中心に、同じような機会が何度かあり、その度にわけのわからないことを思いついて、それをいきなり会ったお店や会社の方々に説明して、「いいんじゃない」とか「なんだかわからないからダメ」とかいうことを繰り返すわけです。そしてその度に、妙に気分が高揚し、「リアリティ」とでもいうようなものを感じるのです。

思うにそれは、アートが好きとか興味がある、という人に見せる個展や展覧会とは違い、ただ単にそこにお住まいだとか、そこでご商売されているというだけで、それ以外には何の必然性もない方を相手に自分の説明を聞いてもらい、なんとかして実現にこぎつけ、でおもしろいとかおもしろくないとか、中には「思いのほか、おもしろいじゃないか」みたいな反響ももらえたり、そういう時間を分かち合う。そうした決して「アート」を通してしかかかわりえなかったであろう方々とのかかわり方に、私ははまってしまったのだと思います。

つまり、私にとって、アートはかつて目的だったのですが、今では手段になったと、こういえると思います。
もっと平たく言うと、ひとりで黙々とつくって「できたー!」というのよりも、見ず知らずの人といっしょになんかやって、いつの間にか知り合いになって、「できたー!」という方が、なんだかんだ言っても何倍もおもしろいという人並みのことに、やっと気がついた、ということです。

(コメント:門脇篤