(この記事は「船橋市本町通りきらきら夢広場ブログ」と連動しています)
お疲れ様です。カドワキです。
今日は私が昨年、千葉でやった企画について振り返ってみたいと思います。
「コミュニティアート・ふなばし」のみなさんに拾ってもらって、昨年は10月に八街の特養老人ホーム「風の村」の庭「風の森広場」で、11月に今年とおなじく船橋の本町通りと山口横町で展示を行いました。
「風の村」は全室個室の日本一といっていいほど充実した老人ホームですが、スタッフのみなさん、運営に忙しくて広大な庭が放置されていました。それはそれで正しいことなんですが、するとおもしろいことに、まわりの方々が「もったいないんじゃないか。使わせてもらえるなら使わせてほしい」と立ち上がったわけです。
そこで池をつくったりコスモス園をつくったり、畑をつくったりと、とても楽しげに活動している中に、「アートも」ということで、毛糸をばーっと結ぶことにしました。
到着して何よりびっくりしたのは、すでに庭にはアート作品がたくさん展示してあったことで、どうも「アーティストが来てアート展示するとかいうけど、待ってないで自分らでアート展をやったらいいんじゃないか」と、自主的にどんどん企画が盛り上がっていったらしく、かなり大勢の町のアーティストたちの意欲作に迎えられ、私はいらなかったんじゃないかと心配になるほどでした。
普通は誰か外からアーティストなり企画者が行って、こんなのどうでしょうとやって見せて、「おもしろい。ところで、これなら自分たちでできるんじゃないか」「やろうやろう」ということになると思うんですが、外部から行く前にもう「こたえ」が出ているというところが、八街のすごいところでした。
2泊させてもらったロッジもひとりで占拠して、たいへんおもしろかったです。
昨年、船橋にはいろいろな用事のついでで、事前に2〜3回足を運び、「きらゆめ」と「ストリートフェスタ」にのぞみました。
「きらゆめ」では、たくさんの市民団体が参加するイベントにもかかわらず、各団体ともあんまりにも忙しくて当日は他団体との交流どころではない、という話を聞き、「船橋」という地名の由来にも興味があったことから、紙で船をつくって、それで人と人の間に橋をかけましょう、というわけのわからないことを言って、参加団体のみなさんに船をつくってもらいました。
本町通りの街灯に毛糸を結び、そこにその船をつけて、商店街を船が回遊しているというインスタレーションを制作しました。
また、山口横町では4階建てのマンションから、隣接する市立美術館予定地上空に毛糸を結び、そのたもとでパフォーマンス・ユニット「あらら。」によるパフォーマンスが行われました。
設置にあたっては「コミュニティアート・ふなばし」の若いみなさんの全面的な協力を得て、無事、設置を完了することができました。
が、どうも「都市的」というか、本当にその場所に住んだり、そこでご商売されている方とのかかわりが疎であったように反省しています。
私はどんな場所にも「都市的」な部分と「地域的、ローカル」な部分があると思います。まだはっきりとそれらを説明する手段を持ちえていないのですが、「ローカル」というのは、その場所やそこに住むコミュニティとの密な関係の中で、ある意味いやおうなく営まれる生活のことで、町内会あり、親戚づきあいありの世界のことです。一方「都市的」というのは、そうしたものとは別の「個」としての存在というのでしょうか、趣味で好きな人どうしがつながっているとか、好きな情報を好きに受け取ってそれを楽しんだりといった状況のことです。
「東京」というと、地方からすれば「都会」の最たるものですが、東京に住んでいる人が全員、自分は都会に住んでる、とは思っていないと思いますし、実際、「都市的」な部分にも住み、かつ「ローカル」な部分にも住んでいる。逆にものすごい田舎でも事情は同じで、非常に「ローカル」な生活をしている一方で、「都市的」な生活も営んでいるわけです。
話が長くなりましたが、アート・プロジェクトにもそのようなわけで、「都市的」なもの、「ローカルなもの」が大きく分けると存在するように思います。
昨年の船橋での取り組みは、そういう意味で「都市的」でした。今年はもうちょっと「ローカル」にも切り込んでいきたいと思います。
つまり、アートに興味があったり、おもしろいと思っているから参加するのではなく、ただ単にそこで商売やっているから、そこに住んでいるから、という理由でそこにいる方とアートをやる。
いったいどうなることか、たいへん楽しみで身震いがしてきます。
(コメント:門脇篤)