アークリ、3日目は「アート学生こたつ会議」ということで、会場中央にこたつが置かれ、「ARS」という、仙台にある6つの大学のアート系もしくはアート好きな学生によるさまざまな議論に、「アークリ」のディレクターである宮城教育大の村上タカシ教授がこたえる、という形式でお昼から1時間半ほどのディスカッションが行われました。
所蔵作品などを見せてあげる的に陳列する美術館などのあり方のオルタナティブとして、まちでアートをやっている、という村上氏の説明に対し、「美術作品はきちんとしたそれ専用の場所で展示してはじめてそのよさが発揮できるのではないか」とか、「イベント的に、まちの人が貸してあげるからと安易にそれに乗っているだけではないのか」など、実に風通しよく切り込んでいく学生さんたちの議論は聞いていてたいへんすがすがしい。
また、「アートという、敷居が高い感じのものを気軽なものにする意味でまちの中でやる意味はある」、「しかしまちでやると単なる自己満足になるのではないか」、「仙台市が美術に全然お金を出さないのは、その活動が市にとって利益になるとみなされていないからではないか」などといった活発な意見も出されていました。
私もまちでアートをやっている者として、村上先生から意見を求められ、まちでやることの意味として、アートとまったく関係ない人とアートをするリアリティ、コミュニケーションのあり方、そうして観客をつくっていくことについて話しました。ただ、つくり手と、巻き込まれたまちの人はつくる側に立てるけれど、ただ見に来た観客には、確かに辛いところもあることも指摘しました。
その後、議論はアートで(経済的に)やっていくこと、みたいな話になり、アーティストにもプレゼン能力や経営能力が求められている、という話に対し、「アートをやっている人はどちらかというと引きこもり系の人が多い」という意見が出、途中から来場した建築家の曽根氏が、自分でプレゼンテーションができない人には、プレゼンができるパートナーが必要だというような話をして、アート・コーディネーターの重要性が話題に。
最後に、そうした協力関係などを構築しながら、しかし何かを越境していくエネルギーやパッションとしてのアートの可能性についての言及があり、2時間弱の「こたつ会議」は終了。
本当に実りあるディスカッションだったと思います。こうしたディスカッションの場を定期的に持つだけでも、まちにおけるアートの理解や水準があがりそうな気がします。千葉のコミュニティアート・ふなばしなどは「CCC円卓会議」といって、すでにそうした展開での蓄積があって、しかも軽やかです。そして何よりいっしょにこたつに入って、というシチュエーションがいい(もちろんみかんも配られてました)。暖かくなったら健康的にけやき並木の下で、とか、鳴子だったらお風呂でアート温泉会議を風呂でしょうか。
(門脇篤)