5月27日(火)
 都江堰へ
 伏龍飯店で被災状況を伺う

 伏龍飯店は、観光地都江堰の中心にあるホテルです。マネジャー、副マネジャーのお二人に話を伺いました。地震後の建物検査によって、このホテルは「宿泊不可」との診断が出た。そのため途方に暮れている。60人の従業員にも、2〜3ヶ月はホテルからの援助もできるかもしれないが、その先がわからず頭痛の種。瓦礫撤去などを仕事にすることもできない。見たところ、それほど壊れていないし、補強して使ってはどうかとも思う。ただし、今回は政府が補強は認めていない(宿泊客に万が一のことがあってはならないという判断か)。現在の希望は、「就職口を確保したい」こと、「ホテルを再建したい」こと、「建設については日本の技術、理解、支持が欲しい」とのことでした。

白砂村のテントへ
 都江堰から車を山中へ。白砂村は、約300世帯。仮設住宅を建設中。
 仮ビニールテントにお住まいの母子を訪ねました。家族の命は大丈夫だったが、家は全壊。おじさん、おばさんが川向こうにいて犠牲に。父、母、姉2名、自分、子どもなどに加えて、独り者の村人も一緒にテントで住んでいる。総勢8名。最も欲しいものはテントである。米、麺が政府から支給されている(1日0.5kg、10元=約160円)。水は井戸水。崖崩れで田んぼが埋まった。だから米は駄目に。家畜に被害も出た。余震におびえている。1日5回程度。精神的に参っている。
 テント村の中央に皆さんが集まってこられたので、話をお伺いしました。69歳のおじいさんが「世界中からの援助、政府からの援助に感謝」と言いながら涙をこぼされました。
(写真:白砂村のようす)

砂湾村へ
 白砂村からさらに山の中に入りました。食料配給(米、小麦粉、ニンニク)の現場を見てさらに少しだけ奥へ徒歩で移動。村の書記長に会いました。人口961人、235世帯、死者1名、負傷者3名、行方不明1名 出稼ぎ。「アクセス道路が崩れた。雨も降っていたい。孤立した。救援隊を背負って入った。今は道の修理ができて、水などはOKで、生活の問題は概ね解決」とのことでした。仮設は政府が提供。家屋の補修はみんなでやっているそうです。
(写真:救援物資の米)