ネットでクリック募金が手軽にできる今日、果たして街頭募金にどれだけの意味があるのか、疑問に思いませんか?

街頭募金は、募金をする一人一人が「東北地方の地震への募金にご協力お願いします!」と道行く皆さんに呼びかけをします。そうすると、思いがけない人たち(すみません)が募金に応じてくださるのです。歩きタバコのお姉さんや、自転車に乗った中学生、就職活動中の背広姿の学生、とても怖そうな目つきの中年男性、お店のビラまきをしている店員さん、Gパンから鎖をちゃらちゃら下げているお兄ちゃん・・・。正直言って「見かけ」からは、募金に応じてくださるとはあまり思っていませんでした。

一旦通り過ぎてから、わざわざ募金に戻ってきてくださった中年の女性。幼い子供さんに1000円札を握らせて募金をしてくださったご夫婦。ぶっきら棒に、NVNの公式パンフすらいらない、と言いつつ、1万円を入れていった30歳くらいの男性。バイト代といって3000円を入れていった大学生。「私も震災のとき大変だったの」というお年寄り。「あんたら、このお金をどう使うのか、信用できる団体とどう証明できるのか」と厳しい質問をされながら、説明すると「わかりました」と2000円を入れていかれた30台の男性。

写真は、若い男性の方が突然、自転車で乗り付けて貯金箱を置いていかれたもの。「これ丸ごといいのですか?」きょとんとしていると、「ほんのちょっとですから」と写真を取る暇もなく去っていかれました。お近くの家からわざわざ持ってきていただいたのでしょう。ずっしりと重く、数千円入っていたはずです。

街頭募金は面倒ですが、そこに人と人との一瞬の出会いがあります。集める側は募金をしてくれると信じ、募金をする側は救援活動にきちんと使うことを信じてくれます。その出会いの一瞬に、東北の皆さんにわずかでも力になりたい、その思いが共有されるのです。

5時間で136万5158円という数字は私たちも驚きましたが、数字以上に、一人一人の胸の思いに熱くなりました。逆にいえば、東北・関東の被災者の悲惨な状況に本当に心が痛みます。

だからこそ、募金をする側の倫理も問われます。ごく例外だとは思いますが、便乗する詐欺集団もいるようです。多くの学生さんたちが何かをしたいという熱い思いから、募金活動を始めています。パンフを渡して責任主体を明らかにすること、集計や使途などの情報を公開しお預かりしたお金について報告すること、募金場所についてルールを守ることなど、思いだけではなく、責任をもった募金活動を心がけましょう。また街頭募金が「流行り」となって当たり前になると、思いの共有が難しくなってきます。次第に集まりも悪くなるでしょう。だからこそ、学校や職場など組織単位での募金、バザー、専門ボランティア(ITの知識などの活用)など、日々変わる状況にアンテナを張って、創意工夫をしていきましょう。そのとき、常に心がけるべきは、私たちが何をしたいかということ(それも否定はしません)だけではなく、被災者のニーズにあわせて私たちが何ができるか、という視点です。