2011年3月28日
 前日19時半に関芳之さん宅に到着し、28日朝から、塩谷の
みなさんに挨拶させていただきました。そして、お昼前に新潟
県小千谷市の総合体育館へ向かいました。
 小千谷市総合体育館は、現在、福島県南相馬市原町の第
一小学校に避難された方々を中心に、約150名が生活されて
います。南相馬市は、東京都杉並市と防災協定を結んでおり、
また、杉並区は小千谷市と協定を結んでいたため、こちらに避
難することになったようです。
 原町と小千谷市は現在、片道3時間で行けるため、荷物をこちらへ持っていくために、車で原町に向かう方もいるそうです。原町というひとつの町のみなさんが中心なので、お知り合いの方同士で、話もできる関係かと思いましたが、原町のなかでも、地区はばらばらで、避難先がたまたま原町第一小学校であった方も多いため、避難されている世帯間の交流はあまりないそうです。体育館は比較的広く、ジム用に作られたシャワー室なども完備されており、また、子どもたちが走り回っても大丈夫な、遊び場のスペースも確保されていました。自宅のような安心感はないかもしれませんが、できるかぎり不便を感じないように設営されているように思いました。
 また、小千谷市総合体育館では、避難者のその後の生活の場として、公営住宅、雇用促進住宅など、合計約60戸を用意しており、現在その第一次申し込みが行われています。

次に、塩谷集落のある小千谷市の隣の、長岡市の南体育館へ
行きました。そこには、南相馬市全域から約200人が避難されて
おり、その隣の老人センターにも約80人が避難されています。
小千谷市に比べ、長岡市はこの避難所を含めて合計9か所
874人が避難しており(3月27日午後6時時点・新潟日報社調べ)、
小千谷市のように、その後の生活の場の提供情報もありません
でした。まだまだ手が足りていない状況に思われました。
 塩谷集落では、小千谷市からの要請で、集落センターを3世帯12人の避難者の方々が生活される場として、提供する準備を進めています。一時生活の期間も、市の要請で1カ月間としています。その受け入れの支援金として、NVNADで集められた支援金の一部を援助することになりました。しかし、小千谷市からの連絡はその後途切れてしまい、塩谷集落では、受け入れ準備をした状態で待機せざるをえない状況にあります。
 今回宿泊でお世話になった関芳之さんと事前にお話しした結果、今回はNVNADからの支援金を受け取り、小千谷市の対応を待ってから、その支援金の用途を決定することにしました。なお、用途の決定については、東日本大震災で被災された方々のために使用すること、そして、その用途が決まり次第、NVNADにその内容について話し合いをした上で使用することになりました。

午後7時半に集落センターにて、支援金の授与を行いました。
区長の星野正邦さんに、NVNADからの支援金、そして、大阪
大学の学生からの色紙をお渡しいたしました。神戸—塩谷—
そして東北と、被災地間で支援のリレーが続くこと、そして、
塩谷のみなさんが、東北へとたすきを繋ごうと試みていらっし
ゃることに、敬意を表したいと思います。
 今後、NVNADと塩谷集落と連携を続け、このたびの震災でわたしたちにできることは何か、考えていくことになります。被災した地域だからこそ、そして、支援を受けたことのある地域だからこその、支援のあり方を探りながら、避難者のみなさんの動向を注視していきます。(報告:大阪大学 高森順子)