北からの支援(野田村から南の地域へ)

NVNADでは、「北から」の支援を行っております。今回は、野田村から南にある地域を訪問しました。印象を綴ります。

○宮古市田老町
直後の避難所から移動し、現在はグリンピアに500人程度が避難されている。4月16日、17日に仕切り版を設置する作業。自治労からの支援があり、熊本や和歌山などゼッケンをつけたボランティアの姿がたくさん見える。避難されている方々の話し相手になる活動もされており、下関のゼッケンをつけられた方々の姿もあった。受付は市職員。訪問したときは、熊本青年会議所の方々がバーベキューの炊き出し中。これだけたくさんのボランティアさんがいつまで継続してくださるのか(ボランティアの継続性)が気がかりとのこと。

○田野畑村
役場では、ボランティアがたくさん来ている状態ではなく、宿泊場所がないためか、継続してきてくださる人はないようだとのこと。しかし、現在の避難所で大きな問題はないと思われるので、今後の仮設住宅への引っ越し作業、仮設後の生活などで何か依頼できることがあれば、とのこと。避難所は、教育委員会の建物と同じエリアに。2つの建物に約200人強(当初は、600人)。避難所を訪れてみると、村および村教育委員会職員を中心に運営され、確かに、ボランティアは特に入っていない様子。今は食事や掃除を被災者が班編成で行っているとのこと。避難所の入り口付近には、各種案内が整理よく並べられていた。津波が去ったあと、何とかとりだした写真が置かれ、濡れた(洗った)写真を一枚一枚雑誌の間に挟んでいるお年寄りの姿が印象的であった。岩泉町のお風呂に定期的にバスを出している。村全体の規模が小さいので、ガソリンや物資等、1度届くとかなりもつとのことであった。津波のあとの撤去作業は業者に依頼しているが、被災者の雇用も行われているとのこと。仮設は1〜2ヶ月後の予定。

○普代村では、今回の滞在中に十分な情報収集ができていないので、報告は後日とします。