野田村での子どもたちの支援活動について(報告②)

■野田村立日向保育所
 野田村には4つの保育所がありましたが、そのうち野田保育所が
跡形もなく津波で流されました。日向保育所は直接の被害はあり
ませんでしたが、野田保育所の子どもたちを受け入れたり(人数が
2倍になったそうです)、避難所から通う保育士さんがいたり大変な
状況です。最初訪れた時「大丈夫でしたか?」と声をかけただけで
したが、私と娘の兵庫県西宮市という腕章を見て「阪神大震災の時のことを聞かせて欲しい」と所長さんに職員室に招き入れられました。中越・中越沖地震の時も同じでしたが「大変だったんですね。皆さんも被災されて大変なのに気持ちにふたをして保育しないといけないし」と言うと、思わず涙され「震災後自分たちの気持ちを初めて話した」と仰っていました。
 保育所の子どもたちが全員助かったとのことだったので、さぞや日頃の避難訓練の成果ではないかと尋ねました。「特別なことはしてません」とおっしゃいましたが、毎月のように実施する避難訓練は私たちには考えられないほど真剣で実質的なものでした。朝6時頃からの早朝訓練をしたり、訓練の時は必ず全員の体重と同じ重さを運んだそうです(休んでいる子の分はペットボトルに水を入れて)。「子どもたちは被害の程度ではなく、同じ津波の波を見たり、家を流された親戚が自宅に来ていたりと普段とは違う生活をしている。なんとか子どもたちを暖かく保育したい」と仰っていました。
 足りない物や欲しい物は?と聞いても遠慮されましたが、やっと聞いた「画材」を連休前に訪問した際持参し手渡しました。3ヶ所の保育所に分けるとのことで画用紙や絵の具などを持って行きましたが、つい先日可愛い保育所の子どもたちの写真と共にお礼のはがきが届きました。小田切所長は「親戚の家に来たと思って野田村に来たらいつでも寄って」と言ってくださいました。今後も必要な支援をしていきたいと思っています。

■えぼし荘の子どもたち
 気になる子ども達のなかに「在宅の乳幼児」がいます。野田村で
はほとんどの子どもたちが保育所に行っていますが、この国民宿舎
えぼし荘には保育所に行っていない幼児がいます。個室に家族単
位で入っているので恵まれているようですが、室内でも共有スペー
スでも「静かに、じっとして」といつも言わなければならず、親子とも
に煮詰まっていました。初めて訪れたとき「関西のおばさん」と喋っ
たからかケラケラお母さん達が笑いました「久しぶりに笑った」とのことでした。私たちと遊ぶ我が子をニコニコして見ているお母さん達。いつも一緒なので(震災後親も子も不安で離れられない)「他の人と遊んでいる我が子を見ることが楽だ」とのこと。こんな支援こそ必要だと八戸高専の生徒達に頼み、その後継続した子育て支援になりました。2度目に行ったときがちょうどその支援の日でしたので、どちらも楽しく関われるよう高専の生徒さん達に「幼児との関わり方」を少しレクチャーしましたが、若い人たちとの交流は親子にとって有意義だと思います。この八戸高専の継続した活動をNVNADでは今後も支援したいと思っています。えぼし荘のママとはメールのやりとりもしています。よそ者だから言える愚痴や悩みもあるようです。被災された方のほんの一部ですが、心の通った支援をしたいと思います。

■救援物資
 この東日本大震災が起こった当初「物資がない!」ということで、
様々な救援物資を現地に届けました。ただ、必要としている物が
必要としている人に届いているのでしょうか?八戸高専の先生達
も避難所などの支援に入り「物資」を届けていました。野田小学校
の避難所に同行したとき、先生達は被災された方に「要る物をリス
トアップしてください」と言われました。「でも…」と応えづらい女性
に「先生達は『こんな物がありますよ』と逆にリストを渡せばいいんですよね。そしたら要る物だけをチェックして返せばいいんですから」と口を出してしまいました。私も阪神大震災で経験しましたが「何も無いんだから何でも良いだろう」的な救援物資のあり方は疑問です。
 この度現地のニーズを聞き、自転車(パンク修理用品付きで)、幼児用画材、ベビーカー、シルバーカーを直接手渡ししてきました。自転車は避難所からの通学に中学生が使うそうです。

ベビーカーはえぼし荘の幼児に渡し、シルバーカーは膝の痛いお
年寄りに渡しました。直接手渡しする物資は限られていますが、
出来るだけ心のこもった救援物資にしたいものです。また物資は
なるべく現地で購入しました。これには先の八戸高専の先生達
の協力がありました。
尚、自転車や幼児用画材、ベビーカーやシルバーカーなどは、全国の皆様からNVNADに寄せられたあたたかいお気持ちのこもった募金(支援金)で購入させていただきました。ご支援いただきました皆様に感謝もうしあげます。

以上の他、えぼし荘の幼児親子がきっかけで、全くボランティアの入っていない野田村下安家(しもあっか)地区の戸別訪問をすることにもなりました。本当に被災された方達の気持ちにより添う支援が必要だと痛感しています。阪神大震災にあったからこそ出来ることもたくさんあるでしょう。障害を持った人たちやアレルギーの子どもたちの支援など、まだまだ気になることはありますが、野田村の方達との交流を通して息の長い支援につなげていければと思っています。