陸前高田市での活動の内容が届きました。

先日、陸前高田市に、「津市ボランティア協議会」と「日本災害救援ボランティアネットワーク」が共同で、三重県津市からボランティアバスを運行しましたが、その活動内容(概要)が届きましたのでお伝えします。

■日程:6月16日(木)〜19日(日)
■行先:岩手県陸前高田市
■参加人数:26名(男性:19名、女性:7名)
■活動内容:
津市役所を16日午後7時に出発し、14時間の移動を経て17日午前9時45分に陸前高田市災害ボランティア本部に到着。
そこで場所の指示を受け活動場所にバスで移動しました。

<1日目の活動>
無惨な痕跡を見せる陸前高田市街を抜け約40分。市街周辺の村落沿いの堤防に散乱した瓦礫の除去と、側溝の掃除です。
側溝は、流れこんだ海水が腐っており、大変な悪臭を放っています。その側溝から瓦礫を取り出し、重機が運び易いように堤防沿いに並べておく仕事です。さすが、26人の威力はたいしたもので、ボラ本部の決めた午後3時の作業までにかなりの瓦礫の掃除は終了しました。

<入浴、夕食、宿泊>
被災地から1時間ほど離れた住田町の遊林ランド種山という町の観光施設で入浴、食事。宿泊は同じく住田町の以前小学校の建物が、ランティアの宿舎として『住田町基地』と名付けられ、ボランティアに無料開放されており、各地から来ているボランティアとの交流の機会もあります。2日目も、前日と同様、
入浴、食事しました。

<2日目の作業>
翌日は午前9時から活動開始。陸前高田市広田町の地域との指示で、昨日とは違う場所です。地域の墓地とその周辺に散乱したガレキの撤去作業にあたりま
した。

<ボランティアはまだ必要なのか?>
陸前高田市は、市街地のガレキの撤去は進んでいますが、今回私たちが作業したような、市街地周辺の集落は被災後3ヶ月経過したとは思えないほど、あちこちに散乱したガレキはそのままでした。後日、重機が作業しやすいように、瓦礫を一カ所に積み上げるという作業ですが、このように積み上がった瓦礫の山は周辺地域ではまだまだ見ることは少ないものでした。

<地域の状態を推測すると>
手つかずなのは、集落に散乱しているガレキだけではなく、「被災以来まだ一度も住民が集まった事が無い」(2日目作業した広田地区の代表の方の話)とのことで、現地でわれわれボランティアに作業の指示をされた方は『自分の家は、高台にあり、家屋にも家族にも被害が無かったのでこうして動いている』との事でした。
つまり、被災されたみなさんは、まだまだ被災以来の混乱状況の中におられるようでした。墓地一面、散乱していたガレキは、地域の皆さんの困り果てた様子を推測させるものでした。

<瓦礫の山を道一本挟むと>
青々した芝生の家が被災地の道路を挟んだ反対側には、手入れの行き届いた家があり、まさに、『天国と地獄』です。
地域一帯が同様な被害を被った、阪神大震災の被害の様子を思い出すと、あまりにもこの差は大きく、このギャップからは大きな軋轢が生じ、それは町を分断するのではないかとの思いを持ちました。

<ボランティアは必要とされているのか?>
「まだまだ継続的な支援が必要」これが、ボラバスに参加し現地を体験した者のすべてに共通する感想でした。
今回、『災害ボランティア初心者でも参加できる』とよびかけましたが、これは、作業後にきちんと入浴と食事ができることで担保できたと思っています。
悲惨な被災地を見ながら、瓦礫の撤去作業を懸命にすることで、ボランティアとして活動したという充実感、初めての人たちと力を合わせて活動できたという事は、今後の継続的な支援に向けて大変役立つものだと思います。