西宮市社会福祉協議会主催のボランティアバスに乗って、8月7日(日)〜10日(水)の日程で宮城県南三陸町へ行ってきました。参加メンバーは、社協関係者7名と一般ボランティア14名の合計21名。7日(日)16:30に西宮市総合福祉センターに集合し、オリエンテーションに参加。17時に出発。西宮ICから名神高速に乗り→北陸道→磐越道→東北道→仙台宮城ICで下車。8日(月)朝5時に仙台駅前着。社協職員4名がレンタカーを借りるために下車。5時30分にバスは出発。仙台駅→国道45号線→三陸自動車道→桃生津山ICで下車し、国道45号線で南三陸町を目指しました。南三陸町には朝8時に到着。仙台市内からは道が空いていれば、約2時間あれば十分行けます。まず、南三陸町の被害のひどかった志津川地区を通過してベイサイドアリーナに向かいました。ベイサイドアリーナには、総合体育館があり当初は避難所にもなっていました。敷地内には大きな駐車場があり、仮設の南三陸町役場や仮設の志津川病院などが建っていて、一角に災害ボランティアセンターが大きなテント内に設置されていました。まず我々は、8時30分に災害ボラセンに寄って受付を済ませ9時15分頃から災害ボラセンのスタッフからオリエンテーションがありました。1日目の活動先は公立志津川病院に決まりました。担当者からの説明では、病院は5階建てで、4階まで津波にのまれた。病院に入院していた患者と看護師など72名が犠牲となったとのこと。2階から4階までは泥やガレキの後片付けは終わっているが、1階だけがまだ片付けが手つかずの状態なのでそこの作業をやってほしいとの指示でした。
参加ボランティアは、我々西宮組以外に、神奈川県や栃木県など約70名が志津川病院の作業を担当することになりました。災害ボラセンのスタッフからは、①熱中症対策のため休憩をしっかりとること、②病院内では写真撮影は禁止、③余震の場合は津波対策として5階以上に避難することの3点が述べられました。9時30分過ぎに現場へ移動。現場の志津川病院は市街地の中心部に位置していて、まわりはすべてが津波の被害で壊滅状態。9時50分頃から作業開始。まず病院内に入るときに、入り口に置かれていた祭壇にボランティアが手を合わせて病院内に入りました。作業内容は津波で流されてきた色々なものが混ざり込んだ泥のかき出し作業で、シャベルと一輪車を使って作業を行いました。泥の中には思い出の品が混ざっていることもあり、それらは別の入れ物によけていきました。建物内なので陽はあたりませんでしたが、気温は30度を超えており作業はとてもハードなものとなり、ボランティアさんは汗だくの状態でした。各自水分をこまめにとりながら、45分から1時間おきに全体で15分間休憩をとりました。15時15分に作業が終了。病院を出るときにはまた全員が祭壇に手を合わせました。
各団体は災害ボラセンのあるベイサイドアリーナの敷地に戻りました。災害ボラセンへの報告を代表者が済ませ、16時過ぎに宿泊先であるホテル観洋にバスで向かいました。災害ボラセンからホテルまではバスで約20分。ホテルは海に面して建っていて10階建。収容規模は1300名。このホテルも津波の被害を受け2階までは海水が入ってきたとのことでした。避難所にもなっていて当初は避難者が700名、現在は300名に減ったと言われていました。ボランティアも多数宿泊していましたが、食事など避難者と同じ場所で同じメニュー。避難者は首から名札(名前と部屋番号)をぶら下げておられたのですぐに避難者だとわかりました。ホテルの各部屋からは大西洋が一望できるんですが、左側には津波の被害で壊滅状態となった志津川地区の風景が遠くに見えて、何か複雑な思いがしました。
翌9日(火)は朝6時起床、朝食を済ませ、8時にホテル出発。社協さんが借りてくださったレンタカー3台に分かれて災害ボラセンを目指しました。2日目も災害ボラセンで受付を済ませ、指示を待ちました。2日目の作業場所は公立保健センターに決まりました。場所は昨日の志津川病院と同じ市街地。社協職員2名とボランティア全員は保健センターに向かいました。この日も他のボランティア団体と合同での作業で、約70名と一緒に活動を行いました。作業内容は昨日と同じく保健センターに流れ込んだ泥だし作業。保健センターでは犠牲者は誰も出ませんでしたが、近隣地域では百人以上の方が犠牲になったとのことでした。NVNADスタッフは、残りの社協職員3名と一緒に別行動をさせてもらいました。南三陸町内の仮設住宅・避難所を3か所回らせてもらいました。一か所目は歌津地区というところにある「平成の森」というスポーツ施設。南三陸町では最大規模の仮設住宅がサッカーグランドに建っていました。戸数は約300戸、6月6日に入居。なぜか集会所はなく、近くに仮設テントで設置された「カフェあづま〜れ」がありました。ここが仮設入居者の憩いの場になっている模様でした。1日平均約50名〜100名が訪れているとのこと。飲み物とお菓子が無料。スタッフは災害ボラセンからも1名派遣されていました。
次に、平成の森から車で約15分ほどにある、「ニュー泊崎荘(とまりざきそう)」に向かいました。ここも避難所になっているということで、現在避難者は29名、8月11日には全員仮設住宅に入居が決まったとのこと。避難者とはお会いできず、女将さんとは少しお話が出来ましたが、漁は少しずつ再開されてきたがまだまだの状態とのこと。「このあたりは、ウニ、わかめ、タコ、魚などがとても美味しいので、また泊まりに来てくださいね」とおっしゃっていた。その後、志津川地区まで戻り、そこから北にあがって入谷(いりや)小学校というところへ訪問しました。体育館はまだ避難所になっていて、約30名が暮されていました。小学校の敷地内には29戸の仮設住宅がありました。午後2時過ぎに災害ボラセンに戻り、保健センターで作業していたボランティアバスのメンバーと合流し、16時30分にボランティアバスに乗って出発し、翌10日(水)朝7時30分に西宮に到着しました。南三陸町では、ガレキの後片付けや泥だし作業などがまだまだおこなわれていない地域がたくさんあり、また同時に仮設住宅の支援もこれから大切になってくると思われます。西宮市や西宮市社協が南三陸町を支援しているということで、NVNADとしてもどんな支援が可能か検討していければと思っています。今回、ボランティアバスを運行していただき、また現地で大変お世話になりました西宮市社会福祉協議会の皆様には心よりお礼申し上げます。