野田小学校で出前プレーパークを実施(7月29日〜8月2日)

野田村での子ども支援「野田小学校出前プレーパーク」NVNAD理事 米山清美
今回はNVNADと西宮市久保町でプレーパークを運営する「にしのみや遊び場つくろう会」の共催で実施しました。参加者は同団体のプレーリーダーや地域の保護者、常連の子どもたち、NVNAD会員、その他は一般紙で公募した40〜60代の方達でした。プレーパークの実施ということで、まず事前に国有地プレーパークに来ていただき今回のボランティア内容を説明しました。「子どもの遊び場」ということで、ちょっと勝手が違うと思われた方もいらっしゃいました。「自分の責任で自由に遊ぶ」ことをモットーとしたプレーパークはなかなか理解しにくいようでしたが、ご自身の子ども時代を思い出し、野田村の子どもたちが思いっきりのびのびと外遊びが出来る場にしたいとの目的に同感していただきながら出発しました。
 プレーパークは遊び道具や遊具が無くても子ども本来の遊ぶ力を引き出す遊び場で、大人は過剰に手出し口出ししないようにします。阪神大震災の時も子どもたちにとってのびのび遊べる遊び場がありませんでした。にしのみや遊び場つくろう会はその震災がきっかけで発足しました。ですから子どもたちがイキイキと遊ぶ姿を大人が見ていると大人も元気になると思っています。そんなことから今回野田小学校での実施となりました。
・実施まで:4月に野田荘学校に伺い校長先生にお話ししましたが、7月1日に実質的な打ち合わせに伺いました。副校長先生もプレーパークのことを研修されたそうでした。実施のチラシは野田小学校、野田中学校、野田村立の3保育所に郵送し、事前に各児童生徒に配布してもらいました。
・事前準備:何もなくても子どもは遊ぶとはいっても、遊びのきっかけになる用具類を
全て西宮から持って行きました。流しソーメンの竹も西宮神社から切り出し節を取って持って行きました。(これは野田小学校の先生に所望され寄贈してきました)索麺や麺つゆは西宮で呼びかけカンパしてもらいました。

7月30日(土)
 29日の夜、西宮を出発。今回は小中学生も一緒です。昼過ぎに野田小学校校庭に到着。狭い村内の道路を通って高台の小学校に行くには無理かと、参加者全員でプレーパークの道具を歩いて搬入。準備の後、村内4ヶ所の仮設住宅にチラシを持って翌日のプレーパークのお知らせをしました。その日は野田村にある国民宿舎えぼし荘に宿泊。復興応援キャンペーン料金ながら美味しい夕食を頂き、温泉につかってゆっくり休みました。ボランティアさんは「寝袋持参のつもりだったのに、こんな旅行気分で良いのかな」と仰いましたが、ボランティアと言っても眉間にしわを寄せて「ガムシャラに」することばかりではないと思います。ギラギラしたボランティアさんはかえって被災地の方達も困るのではないでしょうか。そんなことにも気をつけながら仮設住宅をまわった方達は、その日のふりかえりで「77歳の方がはなしをされて聞くだけだったが交流できた実感がある」「とても温かい気持ちになった」など、さすが人生のベテランだけあって「初めて」とは思えない感想が聞かれました。

7月31日(日)
 この日はあいにくの雨模様。でも、子どもたちは雨でも遊ぶはず。ただ、野田小学校の生徒数は190人ほどですが、他府県からの招待キャンプや他市への夏休み行事、スポーツクラブの大会などで半数以上の児童が村内にいないことは、7月1日の打ち合わせ時に校長先生から聞いていました。子どもがいないなら自分たちで遊ぼうと、この日ボランティアとして合流した八戸高専の生徒さん達がホントに楽しそうに遊びました。そのうち、チラシをもらった保育所の子どもたち、昨日誘った仮設住宅のおばちゃん達、小学校の近所の親子、この日を楽しみにしてくれていた下安家の幼児親子など、ボチボチ来はじめました。流しソーメンも盛況で、プレーリーダーが誘った近所の女性は「地きゅうり」を自家製の味噌と一緒に持ってきてくれました。とってもおいしかったです!西宮市内の小学校PTAの手作りの帽子や手提げ袋のお土産も「嬉しい!」ともらってくださいました。
 この日の夜は、えぼし荘近くの仮設住宅の方達と花火大会。下安家地区の在宅の親子も一緒に、一人暮らしのおばあちゃんも誘って、西宮から持参した手持ち花火をみんなで楽しみました。ブロガーのまったけさん(「安家川の漁師」で検索。澤口さん)もとっても嬉しそう。花火の後はえぼし荘のロビーで、まったけさんやボランティアさんも一緒にグラスを傾けながらの交流会になりました。

8月1日(月)
 なんとか晴れたこの日は100人近い子どもたちでにぎわいました。八戸高専の生徒さんの一人はこの日も来てくれました。彼を車で迎えに行ってくださったのが種市(久慈の北側)で放課後児童クラブを実施している下田さんでした。彼女は仙台市のプレーパークからの紹介でこの出前プレーパークを知り、事前に手伝いを申し出てくださっていました。今回西宮からは16人しか来られませんでしたが、現場には様々な人たちとの出会いがあり、繋がりの大切さを再確認しました。この日は校長先生はじめ、小学校の先生達も子どもたちの様子を見てらっしゃいました。「ホントに楽しそうです。こんなに思いっきり遊ぶのを見るのは久しぶりです」とのことでした。この日も流しソーメンは鈴なりで、近所の老夫婦や、里帰り中の親子、昨日もずっと最後までいた幼児親子など、沢山の子どもや大人の笑顔がありました。
 ただ今回残念だったのは、放課後学童クラブの子どもたちが来られなかったことです。野田保育所が津波で流れ、児童館だったところに移りました。その児童館の子どもたちのことが気になっていましたが、種市の下田さんから「狭い室内で子どもたちが可愛そう」と聞き、役所や社会福祉協議会の許可も得て誘ったのですが、当日だったため保護者の同意を得ておらず参加はしませんでした。次回は児童にチラシを配布するだけでなく、関係施設にも周知するようにしたいと思っています。
 夕方、ドロドロになった校庭を申し訳ないと言うと「雨が降ったと思ったらいいんですよ」と仰ってくださった校長先生。職員室の窓から手を振ってくださった先生方。本当に楽しい出前でした。3日間で野田村の人たちに知られた姫路城をあしらったバスで、野田村を後にしました。「こんなに楽しくて申し訳ない」と言われる公募のボランティアさんに、まったけさんからの「野田村限定災害義援金受付用紙」を渡し、当初は大広間での雑魚寝覚悟だった私たちを個室に泊めてくださった支配人さんからの「なかなか夏休みも満員にならなくて」を払拭するぐらい、えぼし荘の宣伝をしてくださいと伝えて帰路につきました。

今回の野田村行きではいろいろな気づきがありました。ひとつはボランティアのあり方です。様々な手法が会っていいのではないでしょうか。今回は子ども支援という目的でしたが、やはり大人の笑顔に沢山で会えました。それは訪れた私たちの姿勢にもあると思います。今回は学生ボランティアはいませんでした(プレーリーダーの若者はいましたが)。40〜60代の方達が行く前は「どうしよう」と戸惑っておられたのに、聞き出してはいないのに子どもから津波のことをつぶやくような存在になっておられました。参加された皆さんの劇的な変化と共に、熟年世代だから出来ることがあると感じました。
 また、今回あらためて子どもたちの力も感じました。西宮から同行した小学生(プレーパークの常連)が野田の子どもたちと大人をつなぐ役目をしてくれました。途中から名前で呼び合い西宮の子も岩手訛りに。そんな子どもたちに触発され、「子どもを遊んでやらなくちゃ」と意気込んでいたおじさんが、一緒に楽しそうにチャンバラごっこに興じていました。
 今回の出前プレーパークで子どもたちが主体的に遊ぶ大切さを再認識しましたが子ども支援のひとつと位置づけ、出来るならば継続した活動にしていきたいと思っています。なお、今回の活動は地元紙や役場広報なども取材に訪れてくれました。