野田村ボランティアバス(出前プレパ)の活動報告

NVNAD理事 米山清美
野田小学校の校庭で8月に実施したプレーパークですが、2回目を2月8日に出発し2月10日、11日と実施しました。どろんこになって思いっきり遊んだ子どもたちから「またするの?」と言われていたことや、10月や12月に行ったときも「また来る?」と子どもたちに聞かれたことも第2回目を実施したきっかけです。また、寒いこの時期にはなかなかボランティアも行かないこともあり「子どもの遊び」に特化したボランティアバスを出すことになりました。今回の参加者には8月に参加した、にしのみや遊び場つくろう会のプレーリーダー、西宮のプレーパーク常連の小学校6年生、8月の公募参加者の会社員等の経験者はいましたが、その他は新聞公募など初めての参加者でした。遅くなりましたがその報告をいたします。
○野田中学校仮設住宅交流会(2/9)
積雪のため太平洋側から向かった野田村でしたが、東北道の一部通行止めなどで予定より到着が遅れました。にもかかわらず仮設住宅集会所では「グラシアの会」の皆さんが待ってくださっていました。今回の目的のひとつに「売上金の授与」がありました。兵庫県青少年本部主催イベントで同会の手芸品を販売したところ、フクロウのストラップや布製のコサージュなど50点が即日完売したのです。私が今後の阪神間での販売について打ち合わせている間に、ボランティアさんたちが翌日からのプレーパークのチラシを持って「お茶を飲みに来ませんか?」と各戸をまわりました。今回は高校生が2人応募してくれましたが、あとは50代、60代の方が中心です。やはり誘い方が良かったのでしょうか、寒い中急な誘いにもかかわらず次々と集会所に入ってこられました。西宮の小学生も地元の小学生を連れてきました。和気藹々とした交流会となり、その日のふりかえりでは「実際に体験された方から話を聞き継続して支援することが大事だと思った」「交流が心に残った。出てこられなくても声かけは必要だ」など実質的な感想が聞かれました。夜は国民宿舎えぼし荘で、下安家の澤口さんから「間引きわかめ」のしゃぶしゃぶをごちそうになり、夜の楽しい交流会となりました。

○野田小学校訪問とプレーパーク準備(2/10)
到着が遅れたので、教育委員会や社会福祉協議会への挨拶は翌日になりました。大崎教育長はこの日もいつも通りの優しい笑顔で迎えてくださいました。1.17の際にも西宮に来てくださった教育委員会の小野田さんにも会えました。総務課の島川さんは「取材に行きますね」と仰ってくださいました。8月のプレーパークは野田村広報の表紙になりましたから。野田村社会福祉協議会では障害のある方たちの話になりました。これは今回同行のサポートハウス運営者(金沢市在住)からの問いかけがきっかけでした。今後は野田村の障害を持った方々の支援にも繋がるのではと思います。私たちが挨拶をしている間ボランティアの皆さんは役場周辺で自由行動でした。短時間でしたが、商店の店先で村の方たちと話し込み、いろいろな話を聞かれた方もいました。阪神大震災経験者として被災された方たちの気持ちにより添うということができていたからでしょう。その後向かった小学校では、高橋校長先生は出張中でしたが星川副校長が出迎えてくださいました。西宮市立安井小学校PTA手作りの品々も手渡しました。昼休みの校庭や校内で、この日の放課後から始まるプレーパークを知らせます。子どもたちには事前にチラシを配っていましたが「知ってるよ!行くよ!」と答えてくれました。放課後ランドセルを背負った子どもたちがスクールバスを待つ間に、また保護者から許可をもらっていた子はどっぷりと、いずれも楽しそうに遊んでいました。前回は西宮神社の竹で「流しそうめん」をしましたが、今回は西宮の酒粕で(西宮は灘五郷のひとつ)甘酒を作ったり、お好み焼きの鉄板でホットケーキを焼いたり、たき火で焼き芋をしたりといろいろな物を持って行きました。普段の西宮でのプレーパークでは「食べ物を振る舞うこと」はしていませんが、寒い時期の屋外遊びなので暖を取るたき火でついでに芋を焼いたり、大人も来て欲しいから甘酒も作りました。ホットケーキも大人が焼いてあげるのではなく、遊び感覚で自分たちで焼けばいいと思っていましたが、ボランティアさんたちは一生懸命用意してくれます。何も言わず見ていましたが、この日のふりかえりで「自分たちがやってあげなくてはと思っていたが、明日は子どもたち自身で焼くところを見守ろうと思う」と主婦でもある2人のボランティアさんが言ってくれました。「自分の責任で自由に遊ぶ」というプレーパークのモットーを、自分たちで体感してくださったようで嬉しかったです。

○野田村商工会青年部会(2/10夜)
プレーパーク1日目を終えた参加者はえぼし荘へ。私とプレーリーダーの娘は渥美理事長に出発前から言われていた上記会議に出席するため役場近くの総合センターに行きました。この日は「10年後の野田村」についての意見交換でしたが、「10年後も田舎らしい野田村に」「野田村の良さを残したい」など真剣に語る野田村の若者にとても感動しました。私は兵庫県のビジョンを考える全県会議に出ることがありますが、その参加者に聞かせたいほどでした。私は「大変な大人たちの陰で子どもはいろいろな我慢をしている。思いっきりあそべないこともひとつだが、そんな気持ちを理解して復興計画を立てて欲しい。子どもたちは10年後復興の担い手になったとき、そんな大人の気持ちを知ればきっと村の力になると思う」と意見を言いました。娘は阪神大震災当時小3でしたがその時感じたことを交えて話していました。「そういえば子どもが遊んでいた公園も流されたなぁ」という話も出ましたが、私たちのしている子ども支援が少しでも役に立てばと思いました。このあとの「重要な懇親会」に参加したかったのですが、小学校の支援員さんがえぼし荘に来られていたので帰りました。支援員さんとは最近の野田小の子どもたちについてなど12時過ぎまで話し込みました。

○プレーパーク2日目(2/11)
 朝から快晴でしたが気温は低く「寒いね!」と参加した子ども言うと「?」という顔。ちっとも寒くないんですね。この日もホントに元気に遊んでいました。今回高校生が2人応募してくれたことや、西宮からの小学生のお陰で、すぐに子どもたちはのびのび遊びました。前回同様大人たちも来てくれて、子どもたちの姿を見ながらニコニコしていました。そんなリラックスした大人を見て子どもたちは安心しもっとノビノビするのだと思います。前回同様、西宮市立安井小学校や鳴尾東小学校の手作り品は、参加した大人たちに選んでお土産にしてもらいました。今回は金沢からのビーズ手芸品もあり子どもたちも楽しんで持ち帰りました。ただ、焼き芋の食べ方などプレーリーダーは気にしていました。前回の流しそうめんの食べ方と違って、食べ方が乱雑だというのです。炊き出しや救援物資など、タダでもらい慣れたから?ちょっと違いますが、阪神大震災当時子どもたちの「万引き」が増えたことを思いだしました。万引きはもちろん悪いことですが、救援物資をもらい慣れた子どもたちがつい手を出したのではないでしょうか。今後の支援のあり方、特に子どもたちにとってより良い支援を考える必要はあると思いました。

○泉沢仮設住宅交流会(2/11夜)
 野田小学校の近くの仮設住宅で、毎月第2土曜日に実施されるお誕生会を兼ねた交流会に参加しました。私たちは西宮から持って行った酒粕で「粕汁」を作りましたが、皆さんとても喜んでくださいました。仮設住宅にお住まいのおじいちゃんの見事な詩吟に一同大喝采。お酒も囲んだ和気藹々とした雰囲気に、帰りの時間を忘れるほどでした。この交流会で美味しい生椎茸をお土産にいただきましたが、これは津波で流されず残った原木から出た椎茸だそうです。元々椎茸栽培が盛んな野田村でしたが、山の上まで駆け上った津波で、その原木のほとんどが流されました。持ち帰った椎茸は、形は不揃いなものの味は良く、生にもかかわらず日持ちもしました。今後の販路の相談をこの日に受けましたが、阪神地域の子育て世代などにも広げ今後の支援にもつなげたいと思います。
○まとめ
 今回のボランティアバスでも会員以外の参加者を公募しました。また、西宮市でプレーパークを運営する「にしのみや遊び場つくろう会」(団体会員)との共催です。いずれも災害救援に特化した活動とはいえないかもわかりませんが、裾野を広げ今後の支援のあり方を考えるきっかけになると思います。特に公募参加者は8月実施と同様、参加者自身の気づきが多く、ボランティアのあり方にも繋がっています(会員獲得は今回も一人だけでしたが)。また、学生ではなく、阪神大震災体験者の大人が行くことの意義をこの2回を通して強く感じました。特に熟年者は経験もあり、コミュニケーション能力など技能にも卓越しています。そんな熟年者がこのボランティアで考え方を変えています。前回参加した60代の男性は子育てボランティアに目覚め、居住する自治体の子育て支援事業に参加しているそうです。また今回はグラシアの会との繋がりや、椎茸の販路など今後の経済支援の末端のお手伝いに繋がるかもしれません。そして今後は障害を持った方やお年寄り、子どもや若者など誰もが集える遊び場併設の「コミュニティカフェ」ができればと思っています。そのお手伝いに今後も野田村に出向くと共に、夏休みには西宮の子どもと仲良くなった野田村の子どもたちが西宮に来て欲しいなと思っています。今回のボランティアに参加されて皆さん、また支えてくださった皆さん、ありがとうございました。