震災から1年 野田村に行ってきました。

3月9日(金)〜12日(月)の日程で、関西学院大学(関学)社会学部のバスと合同で岩手県野田村に行ってきました。9日(土)午後2時にNVNADバスは西宮市役所前から、関学社会学部バスは関学からそれぞれ出発し、名神高速道路の多賀サービスエリアで合流しました。今回の参加者はどちらのバスも同じ16名で、合計32名が参加しました。米原から北陸自動車道に入り、新潟から磐越自動車道、福島県郡山からは東北自動車道に入り、八戸自動車道経由で翌日10日(土)の朝8時過ぎに野田村役場前に到着しました。そこで前日から宿泊していた理事長の渥美と阪大すずらんのメンバー2名と合流し顔合わせを行い、今日一日の流れと役割分担を行いました。活動内容は主に3つで、①野田中仮設での炊き出しと戸別訪問、②泉沢仮設での炊き出しと戸別訪問、③みなし仮設の戸別訪問、それぞれに分かれました。

まず、全員バスで野田中学校まで移動し、荷物を降ろそうと思ったところで地面にバスのタイヤが食い込んでしまうというハプニングが発生、急きょシャベルを野田中学校でお借りして、地面を掘り起こして無事にバスは脱出成功、みんなホッと一息つきました。そんなハプニングもあり予定よりプログラムの開始が約1時間遅れてスタート。野田中仮設、泉沢仮設、みなし仮設、のそれぞれに分かれて活動を開始しました。野田中仮設と泉沢仮設では、それぞれシチューの炊き出しを行いました。200名と120名という大人数の炊き出しをした経験者がいない中、大量のじゃがいもやにんじん、玉ねぎなどの野菜を切るのも大変で、また持参したお鍋があまりにも大きくてシチューの具材が煮えるのに相当な時間がかかってしまいました。予定していた12時30分を大幅に過ぎてしまい、待っていて下さった仮設の皆様にはご迷惑をおかけしてしまいましたが、出来上がったシチューは、にんじんが少し硬かったものの、味は抜群に美味しかったと仮設の皆さんに言っていただけ、ちょっとだけ安心しました。でも次回やるときは今回の反省点を生かしていきたいと思っています。

炊き出し終了後に、仮設の集会所でお茶会を開催して、西宮からお持ちした高山堂のみかさまんじゅうを皆さんに食べていただきました。集会所まで出てくることができない方には、個別にお届けするなどの対応もさせていただきました。また、みなし仮設の方々にも、みかさまんじゅうを持参して、一軒一軒回って行きながら、お話をさせていただきました。みなし仮設の訪問は、2月14日のバレンタインチョコを配った時以来の訪問で、皆さん、その時のことを覚えて下さっていて、今回もとてもあたたかく迎えて下さったようです。でも、中にはお米やお金がなくて生活がとても大変だとおっしゃる方もいらっしゃり、今後の支援を考る必要があるケースもありました。

1日目の活動は、夕方5時過ぎに終了して、バスに乗り宿泊先の国民宿舎えぼし荘に向かいました。到着後少し休憩を取り、夕食後に全員で1日のふりかえりを行いました。参加者全員に活動の内容や気になったこと、反省点やよかったことなどを言っていただきました。翌日11日(日)は、朝食を済ませ朝8時45分に1階ロビーに全員集合して、今日一日の活動の流れを説明しました。えぼし荘の敷地内にある下安家(しもあっか)の仮設住宅を訪問するグループと、昨日の続きで野田中仮設と泉沢仮設、あるいはみなし仮設の戸別訪問をするグループに分かれて、それぞれ午前中活動しました。昼は全員チーム北リアスの現地事務所に集まってお弁当を食べました。同じチーム北リアスのメンバーである八戸の外舘さんより「せんべい汁」を全員にご馳走していただき、みんな感激していました。昼食後は、全員役場に移動しました。

役場内では、野田村住民の発案である灯りイベントのお手伝いをするということで、用意されていたロウの灯籠にメッセージを一人ひとりマジックで書きこんでいきました。その後、14時30分から役場前の体育館で犠牲者追悼式が開催されるということで、全員で参列させていただきました。震災の発生した14時46分にサイレンが鳴り響き、全員で黙祷しましたが、なんとも言えない気持ちになりました。村長のご挨拶や犠牲者のご家族・ご親族のご挨拶などが続き、最後に我々バスの参加者全員も献花をさせていただきました。追悼式終了後、役場に移動し、灯籠を役場から愛宕神社までの道沿いに並べていきました。残念ながら点火までは滞在できなかったのですが、残っていた阪大すずらんと渥美理事長、チーム北リアス共同代表の永田先生にあとをお願いしてきました。今回は震災から1年を迎えるその日の野田村で同じ時間を過ごすことが出来てよかったと思います。野田村の皆様、色々とありがとうございました。我々はこれからも野田村に行きたいと思っていますのでどうぞよろしくお願いします。