野田村には、三陸鉄道北リアス線の陸中野田駅があります。この路線は、久慈駅から、陸中野田、その先は、沿岸部を通り、宮古へと繋がっています。が、今回の津波で壊滅的な被害を受けました。現在は、久慈から陸中野田までの区間だけが営業され、“復興支援列車”が走っています。残りの区間は、大急ぎで復旧工事が行われています。一方、久慈駅には、青森県八戸からJR八戸線が接続しています。この路線も線路、鉄橋、駅舎などが津波で流され、この1年をかけて、北から徐々に復旧工事を進めていました。3月17日、最後まで代替バスで運行されていた種市−久慈間が開通し、全線復旧を果たしました。八戸市社協の方との打ち合わせのため八戸市を訪問していたスタッフは、この日、久慈駅までこの路線に乗ってみました。乗り込んだ列車は、震災前、八戸から久慈を経由し、三陸鉄道に乗り入れて宮古まで行くという計画のもとに製造された「リゾートうみねこ」号でした。八戸市を出た列車は、各駅に停車しながら、ゆっくりと久慈に向かいました。車内は、運転再開を祝う地域住民の方々や、鉄道ファンで一杯でした。また、各駅では、沿線住民が「JR八戸線全線再開おめでとう」と書かれた横断幕や、旗をもって出迎えておられ、沿線の所々にも列車に手を振る人々がたくさんおられました。

主要駅では、太鼓や音楽隊の出迎えがあり、車内では記念グッズも配られました。最終開通区間にさしかかると、「これから、津波で流され、新しく架けられた鉄橋を渡ります」と車内アナウンスがあり、一瞬、乗客はあの日を思いだし、厳粛なムードになりました。窓外をよく見ると、山側には、何カ所も津波からの避難経路が整備され、標識も新しくなっていました。列車は、一際賑やかな出迎えの中、久慈駅に到着しました。出迎えの中には、いつもお世話になっているチーム北リアスの久慈市内のメンバーの顔も見えました。あの日から1年、久慈市を経由して野田村に通っていますが、JR久慈駅には初めて降り立つことになりました。にわか鉄道ファンの目からみても、この路線の再開が地域の皆さんの復興への気持ちをまた一歩進めるきっかけになっているように見え、感無量でした。

三陸鉄道で陸中野田駅に到着し、その後は、いつもお世話になっている住民の方々の家をまわらせて頂き、社会福祉協議会との案件などを相談しました。夕方からは、恒例となってきている泉沢仮設月例誕生会に出て、仮設住宅にお住まいの方々からゆっくりとお話を伺いました。いつものように、和やかな場となり、歌も出て盛り上がりました。しかし、賑やかな時間が過ぎると、残って下さった方々からは、様々な思いが語られました。皆様の声をそのままブログに掲載することは控えますが、家だけでなく自分の思い出や人生計画まで流されたようで悔しいこと、子どもさんが学校を卒業するときに仮設だったら将来帰る家がないように思えてつらいこと、高台移転の表明をしているのに具体的な見通しがつかないこと、などなど、どの声にも悲痛な響きがあります。これからもますます、皆様の声にしっかりと寄り添い続けることの大切さを改めて深く胸に刻み込みました。今回は、一緒に参加していたチーム北リアス共同代表の方も研究者でした。終了後、月例誕生会を振り返りながら、これからの活動について、議論を続けました。