新潟中越沖地震の5周年祈念イベントに参加してきました。

(2012年7月7日と8日の活動)
 2007年7月16日、中越沖地震で甚大な被害を受けた新潟県刈羽村で中越沖地震5周年祈念イベント「げんきをつなげよう復活祭」が開催されました。NVNADからも2名が参加させていただきました。刈羽村社会福祉協議会さんが周到に準備され、刈羽村内外の1,000人の人々で賑わう大盛況のイベントとなりました。
NVNADは、2007年の地震発生直後から、名古屋の(特)レスキューストックヤードさんらと一緒に、刈羽村社会福祉協議会に設置された災害ボランティアセンターを通して、刈羽村の皆様とお付き合いをさせて頂いて参りました。刈羽村では、その後、中越地震の被災地小千谷市塩谷集落との交流も始まり、1.17には西宮・神戸にもお越し頂いておりました。また、東日本大震災では、いち早く福島県の皆様を受け入れられ、宮城県南三陸町や七ヶ浜町を皮切りに、NVNADと一緒に岩手県野田村にも数回にわたって救援・交流に駆けつけて下さいました。西宮から刈羽、そして、野田村をはじめとする東北各地へと被災地のリレーを大きく広げて頂いた刈羽の皆様の想いと、深くあたたかいお気持ちのこもった動きにはいつも心を打たれて参りました。

今回のイベントでは、全国各地から刈羽村とご縁を持たせて頂いた皆さんが集まり、5年前の大変な状況から力強く前進されてきた刈羽村の住民の皆様と互いの健やかな姿を喜び合いました。まるで同窓会のように和やかな雰囲気の前夜祭から始まったイベントは、会場の刈羽村老人福祉センターの中、そして、駐車場スペースを利用して8日10時に開幕しました。まず、地震の発生した10時13分に犠牲になられた方々に向けて黙祷を捧げました。5年を経過しても、まだまだ復活という状況にない住民がいらっしゃることへも想いを馳せました。その後、センター内では、メインイベントの太巻き(なんと10mを3本!)、刈羽村の皆さんによるよさこい、名古屋のレスキューストックヤードさんによるバンド演奏や防災大喜利が行われました。

その中のコーナーの1つに「塩谷集落」の旗が掲げられ、塩谷集落から参加された11名が、あの当時の写真や刈羽村との交流の証を展示されました。到着するやいなや、抱き合って再会を喜び、さっそく交流の1つのメニューとなってきた手芸を一緒に始める参加者もおられ、展示に加えて交流の証が感じられました。中庭には山古志のアルパカも愛嬌をふるまっていました。駐車場を利用した様々な屋台にも、刈羽村社協さんが育んで来られたつながりが現れていました。地元の福祉施設のお店などに加わって、岩手県野田村の屋台がありました。いつもお世話になっているチーム北リアス現地事務所長の貫牛さんとともに、漁師2名、椎茸農家1名が大量のホタテ貝と椎茸、そして、「野田塩」をはじめ地元の特産品を持ってきて下さり、炭火で焼いて振る舞われました。獲れたてのホタテ貝と立派な椎茸のあまりの美味しさに、午前中に完売。野田村の方がホタテと椎茸を焼いている屋台で、刈羽村の方、塩谷集落の方、そして、大阪上町台地の方が談笑する写真は、今回のイベントを象徴するものだと思います。

また、「刈羽焼き」の屋台。実は、大阪上町台地から器具を調達し、大阪のいか焼きをヒントに、刈羽の野菜とベーコンを米粉で仕上げるという新作地元メニュー。もっちり感が嬉しい逸品で、15時の終了時間まで列が途切れませんでした。実は、大阪上町台地屋台村の皆さんと刈羽村とは、中越沖地震では繋がっておられませんでした。先日、上町台地の皆さんが野田村を訪問されたときに、ちょうど刈羽村からも野田村を訪問されていました。そこで、上町屋台で販売されていた大阪のいか焼き(注:いかの姿焼きとは“異なります”!)をご覧になった刈羽村の方々が、いか焼き器の購入と上町台地屋台村の皆さんの招聘をその場で決定。今回のイベントにつながって行きました。大盛況のうちに終了。地元のボランティアさんと一緒に反省会を開き、互いの再会を祈念してそれぞれ帰宅の途につきました。

NVNADやチーム北リアスでは、関西−新潟−三陸を「復興のトライアングル」と呼んで、より一層の交流と支え合いを実現したいと願いながら活動を展開しております。刈羽村の皆様にお招き頂きました今回のイベントは、復興のトライアングルをより強くしてくださったと感謝しております。これだけの盛大なイベントを企画・実施されました刈羽村社会福祉協議会の皆様、また、ずっと支えて下さっていた刈羽村の皆様、そして、全国各地よりご参加の皆様、どうもありがとうございました。心よりお礼申し上げますとともに、これからもますますあたたかい交流を深めて行ければと願っております。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。