夏、全国各地で水害が発生しています。8月14日未明の豪雨で京都府宇治市も大きな被害を受けました。NVNADでは、17日、孤立集落となった宇治市炭山地区を訪問しました。区長が、理事長の親戚でもありましたので、まっすぐ区長宅に向かい、水害後の経緯、困っていることなどを伺いながら、集落全体をまわらせてもらって、次の活動へとつなげております。
炭山地区は、166軒からなり、陶芸家が多く住んであちらこちらに窯が見られる美しい山あいの集落です。中心部を志津川が流れています。地域外へは数本の道路が通じていて、10分〜15分で街へ出ることのできる「都会にとても近いのに、随分と山奥」の集落です。現在は、その主たる生活道路が土砂崩れのため通れず、京滋バイパス笠取インターから続く山道でしか入る事ができません。当初は、ここも土砂でふさがれたので、孤立集落となったのでした。
この集落では、報道もありましたが、市がヘリコプターで運んだおにぎりを食べた方々数十名が食中毒になり街の病院へと搬送されるという二次災害まで発生しました。ただ、ニュース報道が極端に少なく、被害の程度や救援の実態などが伝わってきませんでした。NVNADでは、情報収集のため、まず、宇治市災害ボランティアセンターに向かいました。8月15日には126名、16日には280名(継続22名含む)のボランティアがこのセンターを通じて活動されていました。平野部の浸水地域にはサテライトを設けて活動するなど積極的に動かれている様子でした。ところが、「炭山地区には何人入っていますか?」と問うてみますと、「あそこは山奥で情報がなく、わからない。行政対応のみ。ボランティアは行っていない。ボラセンから物資も運んでいない」という応えでした。この時点ではまだ炭山地区に入っていませんでしたので、さぞかし、現地に行きにくいのだろうと感じました。ただ、食中毒の患者は救急車で運ばれたと報道されていましたし、風呂に入るため軽自動車で街に出た人もいると別ルートから聞いていましたので、どうして災害ボラセンに炭山地区の情報がないのか腑に落ちませんでした。次に市役所に行って、インフラの復旧状況を尋ねましたが、これまた正確にはわからないとのことでした。それでいて、「笠取インターを出れば、普通車も通行できる」という情報は得ることができ、首をかしげながら、車が4WDであることを確認して、笠取インターへ向かいました。
インターまでは10分程度。インターを出て山道へ。電気や携帯電話などの災害復旧車両と出会いつつ、数分進みますと、炭山地区の被害が見えてきました。まずは、宇治市中心部から意外と(いうか、非常に)近いことに驚きました。水田は泥に浸かり、川は抉られて、斜面は崩落していました。区長宅へ行くと、窯と作業場は濁流に流されて、山崩れも母屋のぎりぎりのところで止まったような状態でした。ちょうど通電が始まったところで、「これで涼しなるわ。もう暑うて死にそうやったさかいなぁ。助かるわぁ。まぁ入り」と迎えてもらい、食中毒から回復しつつある区長から水害の経緯を詳しく聴かせてもらいました。その後、集落の被害のひどかったところを中心に一緒に歩いてもらいました。
被害は、集落全体に広がっている印象で、川に近いところでは増水による浸水はもちろん、山崩れによる堰き止めで流れが変わったために家の中を川が流れるといった甚大な被害が出ていました。また、山に近いところでは山からの土砂が家や作業所、耕作地に入り込んでいました。中でも、裏山からの土砂が家に迫り、素人が見ても「次の雨で家も危ない」と感じる場所もありました。区長によると、土砂崩れなど危険な地域があるので市に自衛隊を要請しても来てくれていないこと、生活道路が通れなくて困っていること、断水状態が続いていること、プロパンガスが底をついてきている家があること、ボランティアを要請したいが宇治市の状況がわからないこと、とりあえず各家のニーズをとりまとめて市に伝えようとしていること(これは、NVNADからボラセンの情報を伝えて、ボラセンに早急に伝えることに)など様々な訴えがありました。市役所職員2名の派遣がようやく実ったこと、医療班は来ていることなどホッとする面もありましたが、確かにボランティアは1人も入っておらず、片付けは地元の方々と地元建設業者の職員の無償労働に委ねられているという状態でした。これだけボランティアへのニーズがあるのに・・・「とにかく責任のある人に、実際に被害を見てもらって、救援をお願いしたい」という切実な声が胸を打ちました。
NVNADでは、独自の支援体制を模索しつつ、宇治市災害ボランティアセンターに戻り、上記の事情を話して、「炭山地区にサテライトを設けて、ボランティアにどんどん入って作業をしてもらうべきだ」と提案しました。「区長からニーズ一覧が出てくることになっているが、ボランティアが尋ねてまわって、尋ねると同時に作業に移るというのが本来の姿では?」とも話しました。週末の調整によって検討するという回答でしたので、NVNADとしては、一旦戻って、支援体制を調整することとしました。最後に嬉しい風景を見ました。NVNADもずっと活動をさせて頂いております兵庫県佐用町から、救援のトラックが来ていました。佐用町が水害に遭ったとき、一緒に活動した地元社協職員の顔もありました。この日の訪問で唯一勇気づけられる姿であったように思います。
NVNADでは、現在、各方面と調整を進めております。現地で活動を展開することになれば、またブログ等を通じて発信いたします。どうぞよろしくお願い申し上げます。