塩谷集落で心あたたまる時間を過ごしてきました。2004年中越地震で大きな被害を受けた小千谷市塩谷集落では、東日本大震災直後から、市内に避難されていた福島県南相馬市の方々との交流を続けてこられました。昨年は、田植えや稲刈りにお招きして交流し、今年の5月には、南相馬市を訪れて山菜天ぷらそばを振る舞われたことは、このブログでも発信したことがあります。11月3日、南相馬の仮設住宅に帰られた20名の方々を塩谷集落に1泊2日でお迎えし、さらに交流を深められました。実は、塩谷集落では、5月に南相馬を訪れた時から、今度は塩谷集落にお迎えするということで、何度も会議を開き、プランを検討してこられました。例えば、南相馬の皆様をお迎えした時のためにと、餅米を育てる方もあって、この日を心待ちにされていました。11月3日は、塩谷集落の収穫祭を復活するという意味も込めて、塩谷集落と有志の会である芒種庵、塩谷分校が共催して、南相馬の皆様をお迎えすることになりました。招待状は、小千谷市に現在も住んでおられる南相馬の方々にも送られました。また、2007年中越沖地震で被災されて以来、塩谷集落との交流を続けて下さっている刈羽村の方々もお招きすることができました。
当日は、朝からあいにくの雨でしたが、塩谷集落の皆さんや、芒種庵、塩谷分校の皆さんが中心になって、学生ボランティア(長岡技術科学大学、新潟工科大学、上越教育大学、大阪大学など)も歓迎の垂れ幕、餅つきの準備、真鯉や様々なおもてなし料理の手伝いをしながら、南相馬からのバスを待ちました。到着後すぐに、南相馬の皆さんも加わって、賑やかな餅つきが始まりました。つきあがった餅は、会場となった集落センターで、南相馬の皆さんと一緒に、餡やきな粉でくるまれた美味しい一品へと調理されていきました。会場に戻りますと、鯉こく、鯉のあらい、“ぬた(鯉の内臓を五倍酢でしめて、大根おろしで和えた逸品”、集落の皆さんが持ってこられた獲れたて野菜や漬け物、そして餅など、山の豪華料理が準備され、早速交流会が始まりました。南相馬からお迎えした方々、南相馬から小千谷で避難生活中の方々、刈羽村の方々に加えて、いつもお世話になっている市会議員の方々、復旧途上でお世話になった県職員も駆けつけて下さり、さらに、市役所職員や、食事の用意などお迎えする側にまわって下さった同じ地区(別の集落)の方々、ボランティア、そして、塩谷集落の皆さんと、実に賑やかな場となり、集落センター2階の大広間ではスペースが足りず、1階の部屋も使っての交流会となりました。
会場では、久しぶりに会って互いに元気な姿を確認し合った後、南相馬の現状に耳を傾けたり、中越地震や中越沖地震からの復興の経験を話したりする場があちらこちらにできました。津波で親族の方がまだ行方不明の方、知り合いが津波に流されていくのを目の当たりにした方、津波で家も財産も何もかも失った方、そして、地震では何ら被害がなかったのに放射量が高いということで家に戻れない方・・・壮絶な体験と、あまりに深い悲しみと苦しみと怒りが伝わるように思えました。と同時に、集落の方々からは、そう簡単にはわかったなどと言えないという言葉も聞かれました。あっという間に時間が過ぎ、昼の交流会も終わりに近づいたところで、改めて参加者の紹介があり、交流会を応援して下さった方々から挨拶を頂いて、一旦、交流会が閉じられました。
近くの温泉に入ってもらってから、夜の交流会へと進みました。今度は、地元の野菜の天ぷらや小千谷名物のそばが振る舞われました。野菜の天ぷらを食べながら、「これは(セシウムが)大丈夫かなどと考えないで食べられることが幸せだと感じる」としみじみ語られる姿がありました。塩谷集落の皆さんから、慶事に歌い上げる「天神囃子」の斉唱があり、南相馬の皆さんの復興を願う気持ちが伝えられました。南相馬の皆さんからは、相馬地方に伝わる唄と踊りが披露され、交流会の夜が更けていきました。
小千谷市内の宿泊地へとバスで向かわれ、翌朝、朝食の時間に塩谷集落センターへ戻られた一行は、小千谷復興支援室の紹介で参加してくださったマザーズタッチさんのストレスケアの体操に参加されたり、集落の散策に出られたりしました。昼食が、塩谷集落での最後の場となりましたが、南相馬、塩谷双方から挨拶の言葉があり、名残惜しい雰囲気の中、再会を誓われていました。帰りのバスの前に軽トラックが駐めてあり、そこには、塩谷で穫れた新米と秋の野菜がおみやげとして満載されていました。お一人お一人に手渡しで言葉を交わしながら配って行かれる場面には、互いの被災体験が重なり合い、言葉以上の交流が生まれていたように思います。互いに大きく手を振りながら集落を出たバスは、小千谷市の伝統行事である闘牛の会場に向かい、南相馬の皆様は、塩谷の牛も出る角突きを観戦され、帰路につかれました。
南相馬の皆様を塩谷集落にお迎えした今回の交流は、南相馬側では、南相馬市市民活動サポートセンターさんのお世話になることで実現しました。また、地元小千谷市では、復興支援室の協力を得ることができました。さらに、刈羽村の皆様、市議、県職員、ボランティアなど、日頃から塩谷集落を支えておられる皆様のお力があってのことでした。そして、もちろん、塩谷集落の皆様の南相馬の方々を想うお気持ちと交流に賭ける熱意が実現のもっとも大きな要因でした。皆様の想いに敬意を表しますとともに、これからも息の長い交流をと願って、塩谷集落を離れました。
最後になりますが、NVNADは、南相馬の皆様のバス代の一部を支援させていただきました。昼の交流会の最後で、挨拶をさせて頂く場を頂きましたので、これは全国の皆様からNVNADに頂いたご寄付の一部であり、全国各地から東日本大震災で被災された方々に寄せられるお気持ちが形になったものであることをお話しさせて頂きました。南相馬の皆様からも、また、塩谷集落の皆様からも、たくさんのお礼の言葉を頂戴しましたが、それらのお言葉をNVNADにご寄付を頂きました皆様に、この場を借りまして、お届けできればと思います。どうもありがとうございました。