5月6日(金)16:17 熊本着新幹線は時刻通り到着する。その後、市内で熊本大学医学部のK先生と面会し、熊本大学や学生の動きを聞くが医学部では組織だった活動はしていないとのこと。「大学からは医療行為については積極的にとの通達は来ている。ボランティア以前に、命を助けることをするのが我々だから」。また学生の動きは9日から授業が始まるので個々の活動もわかるのではとのことだった。そもそも研究室では機械などのダメージも大きく、その機能もどうなるかわからない状態だそうだ。彼自身は東区在住で屋根瓦が落ちてしまったり、ひび割れはあるものの家自体は大丈夫だったそうだが、被災している方にボランティアについて聞くと違和感を感じた。このとき講義に行っている熊本学園大学なら社会福祉学部もあるのでボランティア活動をしているのではと聞いた。
5月7日(土)9:00昨日熊本大学の先生から聞いた熊本学園大学に行く。避難所にもなっているとのことで学生たちもボランティアとして集まっていて、学生たちが運営する避難所だとのことだ。受付では2人の先生が対応。説明を聞いてくださって「大学上部につなぎます」とのこと。福島にも行かれていたそうだ。今後もよろしくと挨拶をした。同大学は福祉避難所でもあるが、現在避難者は一組だけになったそうだ。11:30〜西原村に移動。西原ボランティアセンターで熊本学園大学社会福祉学部講師のFさんに会う。ご自身は西原村在住で妻子は県外避難されているそうだ。今後の子どものことや中長期的にこれまで支援したことを話す。今後お願いすることもあるかもわからないのでよろしくとのことだった。昼食は持参したパンを親子カフェ担当のTさんと食べる。その時彼女から「カフェに来る親からの相談がよくある」と一例を聞く。兵庫県立大学の看護師さんが居られたので相談していた。
14:00〜16:00災害ボランティアセンター裏の西原中学校に移転した親子カフェを訪ねる。校舎とグランドの間の狭いところで小学生高学年や中学生が野球をしていたが、親子カフェには来ない。カフェは児童館のようにもなっていて高学年の女子たちも来ていた。西原村にはもともと児童館はないそうだ。先ほどの相談の親子も来ていて避難所での子どものことを相談された。話しただけでもほっとされたようだった。16:00過ぎ益城町総合体育館に移動、キッズルームに行くが終わっていた。先週も来たので担当のワールドビジョンさんにその後の状況を聞く。受付で副所長と面会し、子どものことなどを話す。5月8日9:00〜12:00、益城町保健福祉センター、広安小学校に行く。いずれも避難所になっている。保健福祉センター避難所の受付では栃木県職員が対応。今の人数は480人余り。子どもの人数は入れ替わりもあり把握していないとのことだった。保健福祉センターに隣接する児童館に行く。当初あった災害支援センターは移動していて現在は避難所になっていた。広安小学校では役場職員のMさんに話を聞く。明日から学校が始まるので教室から体育館に移動した。子どものことや長期的支援をしていることを伝えた。益城町体育館に移動途中余震に遭遇。震度3とのことだったが、どんと突き上げビックリした。
13:00〜15:00益城町総合体育館に到着直後、NVNADのビブスをつけていたからか、通りがかった車から「テントに避難している親戚を探している」と声をかけられた。菊陽町からの熟年夫婦だったがテント村本部を探し案内した。菊陽町は益城町より被害はましだが、車内で寝泊まりしているそうだ。テニスコートのプレイパークにいく。ここは震災後子どもたちの遊び場にと管理する熊本YMCAが始めたが、中高生たちがテニスやサッカーを楽しんでいるものの、低学年や幼児の姿はない。サポートするワールドビジョンさんに聞くと「小さい子は危ないから難しい」とのこと。幼児たちも遊べる工夫を話し合った。体育館にはキッズルームがあり乳幼児や低学年はそこで遊んでいる。ただ、屋内だけではストレスもたまるようなので何とか屋外の遊び場も確保できればと思う。このキッズルームには近隣の子育て団体も関わっていて、その代表さんとは「今後も協力していきましょう」と話をした。このほか、熊本市内で子どもの遊び場(プレーパーク)を運営するHさんとは前回益城町で会い、今回は会えなかったが、熊本子育てネットワークの会合などにも参加しながら、子どものことについては今後も連携しながら進めようと話した。