みどり湯と、おばあちゃんの思い出話 奥沢の「海軍村」

東京からの銭湯とまちのレポート、ちょっと間があきましたが、松の湯からさらにお話は続きます。奥沢駅から北へ向かうと、自由通りの東側は奥沢二丁目、ここは玉川全円耕地整理の区域ではなく、それ以前に原さんという地主さんが個人施行の耕地整理を行って、住宅地を開発したといわれています。実際に現地を歩いていると、塀が高い印象がある田園調布よりも、生け垣に囲まれて落ち着いた住宅が並ぶ、ちょっと文化的な香りも漂う住宅地です。

その中に「海軍村跡」と書かれた碑があったので眺めていると、買い物帰りのおばあちゃんに声をかけられ、それから1時間近く、このまちの由来を話していただけました。

この住宅地は戦前海軍士官の住まいが集まっていたこと、住民は皆仲よく、礼儀正しかったこと。戦後は広かった庭に別の住宅やアパートが建ち、住民のつながりも薄くなってきたことなど。耕地整理された原さんの話が出ると、「原さんだったらおばあちゃんが今もいらっしゃるわ。いつも地代をお支払いに行くのよ。」 「え、土地は原さんがお持ちなんですか。」「そう、借りているの。」

つまり地主の原さんは耕地整理で整備した土地を売らずに借地権だけ分譲されたということですね。調べると原さんは海軍の弘済組織「水交社」を通じて、海軍士官に土地の借地権を分譲されたようで、この土地利用形態は大阪市南部、阿倍野区や住吉区の区画整理と似ています。

奥沢からは軍港の横須賀よりも、霞が関の海軍省や、上大崎の海軍大学校、築地の海軍経理学校などへ通うのが便利だったので、どちらかというと主計科、軍医科の将官、佐官クラスの方が多く、現在もご子孫がかなりお住まいになっているようです。
 
緑の多い静かな住宅地も、すぐ北側はにぎやかな自由が丘の街です。「みどり湯」は海軍村から大井町線を渡ったすぐのところにあります。

東京では珍しくサウナがあり、自由が丘の繁華街に近いこともあってよく賑わっています。住所が緑が丘なので、緑を意識して、浴場の名前もそうですが、壁の絵も緑濃い森の絵になっています。

みどり湯 東京都目黒区緑が丘2−7−14 東急東横線大井町線自由が丘から5分 営業時間 14:30〜24:00 定休日 無休