明大前、松原湯と、東京山手急行電鉄の上を渡る玉川上水

明大前駅は京王の京王線が地平、井の頭線が堀割で交差しています。松原湯は地平の京王線の南側に沿って西に行ったところで、玄関前からも行き交う京王電車が間近に見えます。玄関は新しいですが、元々は伝統的な和風建築のようです。改装されたフロントから脱衣場に入ると、高い折上格天井、なんとなくゆったりした感じです。浴室も伝統的な高い天井で、とっとも綺麗な室内です。ペンキ絵は定番の富士山ですが、よく見ると富士山の前に雪をかぶった山脈が描かれているのが珍しい。ひょっとしてこれも最近富山市観光協会の後押しで増殖している立山連峰?ペンキ絵で富士山と立山の共存を図った意欲作かも。
松原湯 世田谷区松原2-31-12 15:45〜23:00 金曜お休み 明大前から5分

一方明大前の駅前広場から北へ、甲州街道を越えた明治大学の門のあたりから右手へ玉川上水跡が公園になっています。すぐに井の頭線の上を越えますが、蔦が絡まった太い水管が並行しています。この水路橋を北側から見ると、なかなか歴史のありそうな古い橋です。橋脚で仕切られた線路のスペースは4本分あり、そのうち2本は井の頭線が走っています。では残る2本はというと、東京山手急行電鉄という、免許は取ったものの開通に至らなかった鉄道の遺構だそうです。
東京山手急行は、大井町が起点で、雪谷大塚、自由が丘、駒沢、梅ヶ丘、明大前、中野、新井薬師前、江古田、下板橋、板橋、田端、北千住、寺島町、大島、南砂町、洲崎というルートで免許を持っていました。実は、これまでこのブログでご紹介してきたエリアは、このルート沿いが多いです。というのも、まち歩きの一つのテーマにしてきた同潤会の戸建て住宅地がこのルート沿いにいくつかあったからです。大井金子町、洗足台、雪が谷、衾町、駒沢、松陰、江古田、板橋、千住緑町、砂町など。今から見ると、何でこんな不便な場所にと思うような鉄道から遠い場所にもあります。同潤会は、当時免許を持っていた東京山手急行の開通を見越して住宅地を選定した例がかなりあったような気がします。でも東京の第二環状鉄道は、用地買収にもほとんど取りかからないまま、昭和15年までにすべての免許が失効、立ち消えとなってしまいましたが。