自分の気持ちに気付き、自分を理解することが何故、
不安な気持ちを落ち着かせる事になるのか?
また、他者への心の交流への一歩となるのか?
そんな心のからくりを一つずつ紹介しています。
「自己形成史とは?」
<人間の根源的欲求>
自己発見法(セルフ・カウンセリング)では、人間の根源的な欲求を
「積極的には、自己の存在価値をより肯定的に評価できるようになりたい、
消極的には、自己の存在価値をより否定的に評価せざるをえなくなりたくない」と、
とらえています。
より簡潔に言い表すと、「積極的には、自己肯定の可能性を追及し、
消極的には、自己否定の必然性を回避しようとする」欲求であると、とらえています。
この欲求を、<自己評価欲求>と呼んでいます。
日常生活の中で、いつでもどこでも、無意識的あるいは意識的に、
私たちは、さまざまな形で自己の存在価値を肯定できることを求め、
否定せざるをえなくなることを避けようと努力しています。
自己の存在価値を肯定できなくなると、あるいは否定せざるをえなくなると、
私たちは落ちつかなさを味わいます。
その落ち着かなさを<自己評価不安>と呼んでいます。
<自己評価不安の発見>
自己発見法(セルフ・カウンセリング)で自己探求すると、
日常生活の中で抱えていた問題の背後に自己評価不安が潜んでいることが
見えて来ることがあります。
そんなとき、そのような自分を、<ああ、私は、自分のネウチを肯定しようとして、
それができずに不安になっていたんだな>と、そのまま受けとめることができると、
気持ちが落ち着きます。
すると、私たちは、自分のまわりの人たちの内面を、
自分と同じように理解することができるようになります。
<この人も自分のネウチを肯定できず、不安になっているんだ>
というようにです。
そして、このような自己評価不安への共感から、心の交流が始まります。
<自己評価の仕方は一人ひとり違っている>
私たちは、誰でも自己評価欲求を持っています。
そう考えると、まわりの人の気持ちに共感したり、心の交流をしたりすることは、
さほどむずかしいことではないように思えます。
けれども現実にはどうでしょうか。<相手の気持ちがわからない>
<相手と気持ちを通わせあえない>と感じることの方が多いのではないでしょうか。
なぜなのでしょうか。
それは、自分の自己評価を高めよう、あるいは、低めまいとする努力の仕方は、
人によって実にさまざまだからです。
極端な言い方をすれば、一人ひとり違うと言ってもよいでしょう。
では、なぜ、一人ひとりの自己評価欲求の満たし方が違うのでしょうか。
それは、私たちの自己形成史において、
私たちはさまざまな他者とのかかわりを通して、さまざまな価値概念(モノサシ)を
取り入れ、さまざまな評価の仕方を身につけてくるからです。
私たちは、このような過去の全ての経験(自己形成史)を背負って、
今、ここに立っているのです。(%王冠%)
(渡辺 康麿のことば)