憎い。誰を。誰ではない。憎い・・・・・。自責の念もあるが、やっぱり、憎い。
立春も過ぎたのに、大雪に見舞われ、北風吹きすさび、“春まだ遠き”か、今日この頃。しかし確実に、春の足音は聞こえる。庭の河津桜の幼木も小さな枝々に蕾を膨らませてきた。そのわきのボケの花の蕾もほんのりと赤みを帯びてきた。
それなのに、うす緑のたおやかな小枝に囲まれて、直径5ミリほどの黄色の毛まりのような花を無数につけて、春を告げたミモザの木はない。夏から準備してきた枝々の花の蕾がおだやかな春の陽ざしを感じては、ポッポッと咲いた。隠れたところの小枝から黄色に彩っていく。一枝折って、小さな花瓶に入れて、家の中に春を連れてきた。
それができない。
(写真1:平成21年2月のミモザ)
3月にもなると、3メートルあるその木の無数の枝に球形の花を咲かせる。まっ黄っ黄の木に変身する。枝がしだれるほどに咲く。剪定を兼ねて、枝をパチパチ切って、隣近所の家に届ける。通りかかった保険のおばさん、ヨシケイのおねえさん、配達の人、買い物帰りの人、一枝二枝折って持っていってもらった。昔の職場にも、みなとスイミング受付け台にも、その花は春を知らせた。(ミモザの花は花粉だらけなのに、満開の時もしぼんでも花粉を落とさない。身体の器官にも洗濯物にも書類にも、悪さをしない。)ああ、それが今年はできない。
(写真2:満開のミモザ/平成21年2月)
昨夏の猛暑が憎い。酷暑が憎い。40日も雨がなく、あちこちの緑を茶色に変えたあの猛暑。直径15センチ近くのミモザの木だった。まさかあれだけ大きくなったなった木なのに。周りの植木鉢には、毎朝毎夕水をやった。8月の中旬か、どうも新芽の勢いがない。ぐんぐん伸びる時期なのに。おかしい・・・・。もしかして・・・・。
ミモザはハナアカシアともいう。そしてミモザアカシアとして売っている。アカシアの木は水を多く必要とする。アカシアの群生は、地盤沈下を起こすと聞いたことがある。
9年前、太さが小指ほどの苗木を買って植えた当初は、いつも十分に水をやっていたものだ。——忘れていた——すぐ隣の楠も山茶花も元気なのに、ずっと大きなミモザが枝を伸ばさない。ピーンときた。枯れる・・・。十日ほどたっぷり水をやりながら見守ったが、無理。どんどん生気がなくなり、枝もポキンと固く折れる。いつまでおいても仕方ない。すべての枝をのこぎりではらった。
(写真3:根元から1メートル余りのところで切ったミモザ)
ゴミ袋(大)に3杯。何故か、根元から切り離せず、塀の高さのところまで「切り杭」の状態で残した。
(写真4:塀の外から見た切り口)
そして、その上の1メートル半ほど幹は、庭の隅っこに立てかけた。
(写真5:切り取った幹は、庭の隅に立てかけられています。)
ミモザのない春。今、2代目を植えるかどうしようか迷っている。あっという間に大きくなってしまって、狭い玄関脇の敷地ではどうしたものかと、先のことを考えてしまったこともあったから。
でも、あのまっ黄っ黄のミモザのない今年の春なのです。
(会員:S.H記)