手賀沼にこだわっています

3月18日から開催予定であった「川瀬巴水展」が、この度の「東日本巨大地震」の影響で、開催中止となりました。
この想像を絶する地震で亡くなられた方々、ご遺族、また大変な被害に遇われた多くの方々には、お慰めする言葉も見当たりませんが、心よりお見舞い申し上げます。

さて、その川瀬巴水展ですが特に観たかったのは、やはり「手賀沼」でした。我孫子の住人だから手賀沼、と云う単純な想いからでもありますが、パンフレットでみる沼の風景の美しさに魅かれたからに他なりません。こんな風景があったのかァー。
(写真1: 川瀬巴水作の木版画『手賀沼』)

「景観を育てる会」の諸兄姉、多くの我孫子市民の方々が、わが町・わが故郷我孫子(我孫子らしさ)を語るとき、手賀沼の存在は欠かせません。その昔、ほんのひと昔前白樺派をはじめとする多くの文人墨客が住み、遊んでいた頃の手賀沼の周辺はさぞ美しかったことでしょう。

古老の話(その又聞きですが)によれば、沼の水は澄んで清く、手にすくって飲むことが出来た、と云います。“我孫子は寂し過ぎる”と云って離れていった志賀直哉でさえ、あの沼と周辺の素晴らしい景観、静寂がなければ、「和解」や「暗夜行路」のごとき名作・大作を生み出すことは出来なかったのではないでしょうか。

しかし、しかしですよ、現在の手賀沼はどうでしょうか。基準値(新聞・テレビなどで毎日のように使われている、この言葉は空しいですね)を満たしているからと云ってトライアスロンが行われている、あの沼の水を飲もうとするものがいるでしょうか。夏の一日、目の下に沈んでいるヘドロを見ながら、あの沼で思いっきり泳ごうとするモノ好きがいるでしょうか。
干拓で出来た住宅地では、水害の為、沼の堤防をより高くしなければなりません。その結果沼への眺望を一層不可能にすると云うことです。

満々と水を湛えていた頃の手賀沼は、“ハケの道”を歩きながら想像するより仕様がない。その道に沿う斜面林(何とも味気ない表現ですが)—その昔、湖水ならず沼面に影を映していたであろうーは削られ、住宅が木々に代わっております。巨大な広告塔が乱立し、ケバケバしい色彩の建物が並んでいる手賀沼の周辺を、“あァ、美しい風景だなー”、“あァ、手賀沼は素晴らしいなー”とは思えない。

それなのに何故、わが町の宝、わが街のシンボルと誇らしく言えるのだろうか。 私も手賀沼が大好きである。宝ともシンボルとも思っている。でも何故。
昔の手賀沼と今の手賀沼ははたして同じものなのだろうか。
(写真2: 早苗の時期の手賀沼/日立総合経営研修所の春の庭園公開から)

とこう考えてきて思い当たったのは、やはり沼の“大きさ”にあるのではないか、と。
干拓されたとは云え1周3時間の大きさである。ふたまわり・三周り小さな沼を想像して欲しい。宝とかシンボルと思うだろうか。
手賀沼の“大きさ”が全ての汚物(?)を包み込んでしまっているのだろうか。われわれが誇りにしている手賀沼は、その大きさがもたらす故の“幻影”か、“目の錯覚”なのだろうか。

次から次へと懐疑的にならざるを得ない自分。この答えはやはり「手賀沼」に聞くより他ない。

そんな訳で、近々“沼の声”を直に聞きに行ってみようと思っています。
どなたか沼の声を一緒に聞いてみませんか。
(そんな寝ぼけた男には付き合いきれないよ・・・)
 
—震災による痛ましい状況を見るにつけ、美しい自然を残すことが如何に難しいかを考えながらー
(会員:H.S)