インタビューwith木村理事長①

四季彩通り商店街振興組合の木村理事長にはじめてお会いしたのは、今年5月の「幸福の黄色いポスト」3周年記念ででした。
東鳴子で2006年からかかわっている「GOTEN GOTEN アート湯治祭」の地域交流企画で、今年は古川あたりで何かできないかと思っていたのですが、ちょうど東鳴子唯一のみやげもの店「なるみストアー」のご主人が「うちの親戚だ」というのでつないでもらい、それが来月の予定の「幸福の黄色い毛糸」へ。

四季彩通り商店街振興組合ができたのは平成4(1992年)年9月10日のこと。平成元年から始まった県道大崎通り線の街路整備事業を期に、昭和37年に設立された十日町商店会を発展的に解散。初代理事長には「TAMANO化粧品店」(現「アメニティショップ TAMANO」の玉野さん(現㈲「作造」社長)が就任。電線を地下に埋め込み、看板なども規制した「緑と潤いのある商店街」をコンセプトとした四季彩通り商店街が完成しました。
こうしてハード面を完成させた玉野さんのあとを引き継いで平成10年に理事長になったのが木村ハチロー商店の木村さんです。木村さんは「親睦」「資質向上」「環境」といったソフト面での拡充を図ろうと考えました。
そこではじまったのが各方面での講師を招聘しての「ミニ講座」であり、3R運動による「日本一美しいまちづくりへの挑戦」でした。

しかしやはり何にしても活動資金が必要です。自己資金をつくるために、吉野作造先生にちなんだ有限会社「(有)作造」を商店街のみなさんを中心に出資してもらって設立。市立病院の売店を始めました。
売店で販売するのは、主に四季彩通り商店街の各お店の商品。病院という場所のよさもあって、これがたいへんうまくいきました。一日13万円を売り上げることも。
こうして年間200万円ほどの活動費を確保することができ、リサイクルショップの運営やイベント、すでに20数回にのぼる「ミニ講座」などさまざまな取り組みを行うことができました(商店街振興組合の活動については「四季彩旬報」を参照)。

こうして商店街振興組合の取り組みとしては順調だったわけですが、しかし、商店街としてはどうかといえば、閉店するお店があとを立ちません。
この暗〜い閉塞感ただよう状況をなんとかできないだろうか。木村理事長はあれこれと思案し、「黄色」という色にたどりつきます。それはかつて見た映画「幸福の黄色いハンカチ」のような、明るいイメージとしての色でした。
平成16年(2004年)の理事会でこのアイデア(黄色=幸福を発信しよう!)を話すと、当然といってはなんですが、とりあえず何を言っているのか理解してもらえなかったそうです。

とはいえ、何とかしなくては、という一心から、木村理事長は走りつづけます。
まずは公衆電話を黄色くしたいと思いましたが、すでに携帯電話が普及しており、公衆電話自体がありません。
そこで目をつけたのが郵便ポストです。ここから明るいニュースを投函してもらおう。四季彩通りで見つけた小さな幸福を手紙にして送ってもらおう。
ポストは絶対「丸型」でなくては、という振興組合事務局の本宮さんの意見にしたがい、なんとかお隣の宮崎町で丸型ポストを見つけ、古川郵便局の協力を得て黄色いポスト設置に至ったのが平成17(2005)年5月のことでした。
盛大な記念式典が開かれ、「吉野作造ポケットパーク」にその幸福色のポストは晴れ晴れと立ち続けることになったのです。

(つづく)