チェルシーはニュージーランドで日本語を学ぶ16歳の女の子です。日本語と日本の文化を学びため、日本にやってきました。受け入れの日は去年の4月5日。ちょうどWCIの我孫子でのプログラムが終了した翌日でした。桜が満開の中、彼女の待つ代々木のオリンピックセンターに胸をわくわくさせて迎えに行った日がつい昨日のことのようにも、また遠い昔のようにも思えます。あれから10ヶ月が経ち彼女は帰国しましたが、振り返ってみると、上手くいったことより上手くいかなかったことのほうが多く、失敗の連続だったような気がします。ホストファミリーとしての我が家はとても合格点には及びませんが、チェルシーと過ごした9ヶ月はこれまで経験したことのないさまざまな出来事の連続であったことを今あらためて感じています。
すでに我が家でもWCIのホストファミリーを何回か経験し、外国からの留学生を受け入れることには抵抗はありませんでした。もちろん国も文化も違う環境で育ち、16歳の思春期の女の子を受け入れることには不安がなかったわけではありません。それよりも留学生を受け入れることで、私たち家族にとっても貴重な体験ができることを期待して長期ではありましたが思い切って進めてみることにしました。
チェルシーの日本語はすでに簡単な意思疎通ができるレベルに達しており、我が家に来た時点から日本語だけで会話を始めることができました。この機会に英会話を勉強できるともくろんでいましたが、彼女の所属する留学センターから日本語禁止令が出され、その思いは早くも崩れました。彼女自身も来日時から一切英語を使おうとせず、上からの指示ではなく、自分の意思として徹底していたようです。彼女の熱意に応えるため、それからは我が家での共通言語はすべて日本語と決めました。
しかし、チェルシーにとって習得しなければならないものは言葉だけではありません。これから先9ヶ月を日本で過ごすには、日本の習慣、文化、マナー、学校など生活に関わることすべてを学んでいかなければならないことはいうまでもありません。彼女自身も母国と日本の生活様式の違いをある程度は予期はしていたようですが、実際に直面すると戸惑いは隠しきれませんでした。そんな出来事は来日初日から始まりました。実家からの仕送りをATMで下ろすにもニュージーランドの銀行を受け入れるATMがどこかわからず、家族みんなで都内の銀行を探しました。どの銀行でも下ろせず途方にくれていたところ、下ろせるのは銀行ではなく郵便局であることがわかりました。学校への初登校の際には同行しましたが、電車によって行き先が違うことや乗り換えを2回もしなければならないこと、通学時間がかかることなどに相当不安な様子でした。それでも最初のうちは彼女の学習意欲は旺盛で、本屋で日本語の参考書を買ってはわからない言葉をひとつひとつ単語帳にして、それからは質問攻めです。それが夕食後の日課となりました。
しかし、1ヶ月も経たない頃、ホームシックの時期と重なり、彼女の表情は少しずつ変わってきます。チェルシーから笑顔が消え、これまでの意欲的な態度が硬直化していくのです。私たちも来るものが来たと覚悟はしていましたが、彼女をゲスト扱いしない、家族同様に接するというホストファミリーとして必須のことを普通にやっていくことがいかに難しいか、長期受け入れ独自の問題に直面し、本当に悩みました。彼女を受け入れることの本当のスタートとはこの時点からだったと思います。留学生の受け入れには慣れていたということは大きな誤解でした。夏を迎える前にはチェルシーは学校の生活にも慣れ、友人もたくさんでき、日本語も上達して来るのですが、私たち家族との会話は弾みません。自分から話しかけてくることはなく、こちらから話しかけてもひと通りの会話で終わってしまう。家事も自分から進んですることはなく、いやいやながらやっている。そして彼女の生活態度に不満を爆発させる形で叱ると、その後は萎縮してますます心を閉ざすばかり。そんな彼女を前にして私たちはどうやってコミュニケーションをとっていいのかわかりませんでした。9歳の長女もチェルシーばかりに話しかけるといってジェラシーを起こすし、正直なところ、お互いにこれ以上ストレスを抱えるだけならば、いっそのところやめてしまおうかと何度も思いました。他に何の解決策もみつからないまま時間だけが経っていきました。冷静になって考えてみると、16歳という年頃は見た目は大人ですが、大人として接するのはまだ早すぎたようです。心はとても繊細で接し方にも十分な配慮が必要だと痛感しました。私たちには、彼女は自分から望んで日本に来たのだから、すべては自分から動かない限りは何も進まないという気持ちを彼女に対して抱いておりました。その気持ちは今でも持ってはいますが、とにかく必要なことは、お互いの心のわだかまりを解くこと。彼女とは対等という立場ではなく、私たちが大人である以上、解決の糸口をこちらから差し出さなければならない。時間が解決してくれるなどというものではなかったのです。そう思うと気持ちの整理がつきました。もちろんそう考えても、成果はすぐに現れるものではないし、課題を多く残す結果となったことは事実です。しかし、今回の積み残した課題や失敗を反省材料として活かして、チャレンジ精神旺盛な彼女の次のステップになってもらえればそれでいいのです。そして何よりも彼女自身が若干16歳にして異国の地での困難から逃げることなく、最後まで完走できたことが将来に向けての大きな自信に繋がるものと確信しています。
最後になりましたが、この留学を最後まで続けられたのは、皆様方のお力添えがあったからだこそと思っています。家族では及ばなかった行動範囲を広げ、視点を切り替えていただいたことに救われた思いがします。チェルシーにとっても、地域の皆様方とともに経験できたことは、素晴らしい思い出となり、広く共同社会を学ぶうえで有意義であったのではないかと思います。いろんなことがありましたが悩んだ末、最後まで続けられることができたことは、私たち家族にとってもかけがえのない貴重な財産となりました。引き受けをしてよかったという思いで最後を迎えることができて本当にうれしく思います。いろいろと企画していただいた濱崎様、着物を貸していただいた村山様、着付をしていただいた細越様、そしてチェルシーが滞在中にお世話になった多くの皆様方のお力添えに対し、この場を借りて心よりお礼申し上げます。
我孫子市 津幡 毅