電車事故で手足3本失ったサラリーマン山田千紘さん(29歳)のどん底から復活を語る人生に想う。

私は幼い頃、親の不注意で左手を大火傷し全機能マヒになり、故郷天草から名古屋に就職したもの営業成績は優秀なのに夏のボーナスは皆の半分で我慢してくれ、社長の差別的言葉に切れてしまい。

翌日、私のバイクと砂利満載のダンプカーと衝突し無残にも両足を轢かれててしまった。

それから意識を失ってしまったが気が付いた時は40℃の高熱と両足の感覚なく包帯でぐるぐる巻きだった。
医師は「命の保はしない」と発言、両足はどんどん腐る。

40℃の高熱は20間、続いたが「命だけは助かった」」でも半年間は歩けなかった。
当時20歳だつた。
仕事は結果で示す「営業だけ」でも歩くと両足が裂けて血が流れる。
足は腫れて靴も履けない、ようやく落ち着き秋田生まれの妻と結婚し4人の子供に恵まれたが子供たちには何の責任もない、食べさせなないと飢え死にする。

天草高校時代、左手が悪くても熊本県の柔道防犯大会で連続26人抜きし大々的に新聞に報道された。

今・私は80歳で妻は74歳になる。

子供4人も良縁に恵まれ孫も9人になったが「障害者手帳」作ったのは運転免許取得する35歳の時だつた。

この世の中「捨てる神はいても助ける神などいない」そのことは「百も承知していた」だから社会福祉のお世話にはならない、ただ言えることは「情けは味方仇は敵である」誉め殺しする奴など「切り捨てご免である」…この人生「自分の精神が弱くなると他人にすがるものだ」

五体健全なのに「犯罪を犯す奴もいる」このブログ読んで悪用する奴もいる。

62歳で定年退職し自由気儘に生きる決心をし「Abiko健康家庭菜園」を立ち上げた。

我孫子中学の柔道部活監督もやった。

それに74歳にして市議会議員、孫に形見に上げる水泳大会のメダル12個獲得した。

池江選手の復活もとても嬉しいが「この人生は波乱万丈である」

102歳まで後22,年どんな「人生ドラマ」があるのか楽しみ」です。

死ぬ時は心臓が勝手に止まる。

コロナやインフルには絶対負けない。

病気と「共存共栄」して生きればい。

この世の中に「パーフェクトはない」失敗゛あるから成功もある。

敗北し流した涙が原点になればいい、

若い山田君に私から送るメッセージは「自分に勝て」苦難の道が90%、残りの10%で100%の幸福をつくる。

命は1っ頑張ろう。

ヒントは。
プールで亀泳ぎです。

心にゆとり、人生は長いです。