写真はラオスで勤務していた時に撮った日本語教師の同僚達です。
私が海外で最初に日本語を教えたのがラオスです。
ラオスで日本語を教えていたと話すと当時でも今でも「ラオスってどこ?」という反応は珍しくありません(%ショック男%)
日本ではマイナー(?)であるラオスでも日本語学習者は存在しています。私が教えたクラスでは、中学高校生・OL・僧侶・飲み屋のおねーちゃんとバラエティーに富んだ学生達が私の授業を受講してくれていました。
この学校での一番の思い出は、営業活動の一環でラオス語もわからないまま、現地の学校にアポなしで飛び込み、宣伝や模擬授業を行い、学生の数を約3倍にまで増やしたことです(%王冠%)
日本語教師の仕事というと授業するだけとイメージしがちですが、実際はたくさんの付属業務があります。まぁ、アポなしの営業までやるとはあまり聞いたことがありませんが(%涙%)
とにかく、この学校はすごかった!
私が何故営業しなければならなかったか。その理由は、私が赴任した当時日本語教師の給料が3ヶ月、学校の家賃が1年間支払われてなく、今にも学校が閉鎖されそうだったからです。学生の数を増やして、少しでも家賃の未納分を返済することが至上命題だったのです!
上記のことは笑えることでもありましたが、それだけではすまされません。カッコウつけていうわけではありませんが、海外での日本人の不道徳なふるまいはそのまま日本人のイメージになってしまうことがあります。ラオスのような日本語学校が珍しい国では尚更そうなります(当時で、首都のビエンチャンで民間の日本学校が2校・ボランティア施設1校・LJセンターという国の機関が1校)。
別に道徳的であれとは言いませんが、日本ではやらないことを海外でしてしまうのはいかがなものでしょうか。
ちなみに、この時の学校経営の責任者は何をしていたか。ロシアでロケットを買いつけ宇宙葬をはじめ、そこで儲かった資金でこの学校の危機的状況を打開すると構想していました。
【場所】ラオス・ビエンチャン
【学生数・層】60人、学生・OL・僧侶
【授業形態】
月曜日から金曜日まで1日1時間の授業
土日は午前午後で2時間の授業
【特徴】様々な学生層・お坊さんの授業料が無料だった