修士論文〜第1章何故、各国は自国語を普及させようとするのか 第1節 諸機関と提言からの考察

第1章 何故、各国は自国語を普及させようとするのか

 議論の前提として、何故、各国は自国語を普及させようとするのか考察したい。そもそも言語を普及させることに意義が無ければ、議論の前提が崩れる。 
実際、初代文部大臣の森有礼は日本語では近代化はおぼつかないとして英語の公用語化を唱えた。また「小説の神様」と言われた志賀直哉もフランス語を公用語にするべきだと戦後間もなく主張したことは有名である。
この章では日本語を普及させることの目的を考察することからはじめる。

第1節 諸機関と提言からの考察 

 言語普及に関する施策や提言は様々である。ここでは特に海外での普及に言及している機関、提言を挙げてその目的を考察する 。
 
A「海外における日本語の普及は、日本の政治、経済、社会、文化についての諸外国の理解を一層深める契機を提供し、知日家・親日家、ひいては、日本研究者の育成にもつながっていく事業として、外交上も大きな意義を有する」
(外務省広報文化交流部)

B「日本語教育・普及関連事業は、技術教育の一環または技術協力の効果をより高める手段として、また移住者支援の一環として〜(中略)〜内外のニーズに応じ、事業の展開を検討する」 (独立法人国際協力機構・JICA)

C「我が国と諸外国との国際相互理解と友好親善を促進するため、日本語教育・日本研究をはじめ〜(中略)〜実施している」 (独立法人国際交流基金)

D「海外の小中学での日本語教育は、外国の教育の話だと片付ける問題でもなく、また海外の対日理解の観点からのみとらえる問題でもない。〜(中略)〜子どもたちに対する外国語教育の最終目標を、同世代間の交流と相互理解においている」
(財団法人国際文化フォーラム)
E「援助政策を通じて国際社会における責務を果たすとともに、我が国のプレゼンスを確保するため、以下の施策に取り組む。〜(中略)〜ODAによる日本語教育事業の拡充により、海外の日本語教育機関における日本語学習者を300万人程度に増加さえることを目標にする」 (経済財政諮問会議「グローバル戦略」平成18年5月)

F「日本語が国内外を繋ぐ原動力になるという新たな自覚の下に日本語の更なる国際的普及に向け、日本語教育施策を再構築しなければならない時代になっている。〜(中略)〜日本語は、人類の文化財の一つであり、この文化財を世界の多くの人々と共有するための取組みは、日本の国際的な責務〜(中略)〜」
(国際交流基金・日本語教育懇談会「今こそ、世界に開かれた日本語を」平成19年2月)

G「留学生交流の拡大は〜(中略)〜日本の魅力の理解者・発信者、日本のサポーターを育てるという意義を踏まえ、〜(中略)〜。日本語教育については、フランチャイズ制度の導入により、海外拠点の飛躍的増大を図る」

H「日本の魅力の向上・発信〜(中略)〜海外現地における文化発信、日本語教育と留学生支援サービスの一体的提供に向けた関係諸機関等の連携強化」
 (アジア・ゲートウエイ戦略会議「アジア・ゲートウエイ構想」平成19年5月)

 ここで述べられている日本語普及に関する考え方は、各機関及び各種提言のミッションを前提としているので、日本語普及に関する方法や目的も異なっている。なので、すべてを同列に論じて、この中でどれか一つが正しいということではないが、共通点と幾つかの傾向が理解できる。
 まず、第1にすべてに共通している点が、日本語普及政策は手段であるということである。文面にA「〜につながっていく」B「〜手段として」「〜一環として」C・E・F「〜ため」D「最終目標を〜」などの言葉が記されている。また、GとHも文脈から「日本の理解者を育てる手段としての留学生交流の拡大のそのまた手段」「日本の魅力の向上・発信の手段」といずれも手段と理解できる。
しかし、何のための手段であるかはそれぞれ異なっている。A〜Hまでのそれぞれの目的は、大雑把に三つに分類できる。
最初にそれぞれの目的を抜き出す。A「諸外国の理解」「知日家・親日家、ひいては、日本研究者の育成」B「技術教育の一環」「移住者支援の一環」C「国際相互理解と友好親善」D「同世代間の交流と相互理解」E「我が国のプレゼンスを確保」F「国内外を繋ぐ原動力」「人類の文化財の一つ」G「日本の魅力の理解者・発信者、日本のサポーターを育てる」H「日本の魅力の向上・発信」。

これら抽出した目的を、発信者と受信者の関係性から三つに分類する。 

【図1−1】

 (筆者作成)

第一は、“日本発信型日本語普及”すなわち日本から相手国へ働きかけ、変化を期待するものである。A・E・G・Hが当てはまり、利益の受容者は日本に置かれる。仮にこのグループを「国益グループ」と名付ける。四つ挙げた各種提言のうち三つがこのグループに属する。また、外務省もこのグループに入る。第二は、“相互発信・受信型日本語普及”。主体としての国を前提とし、日本と相手国が相互に発信・受信の対象者となるのがこの立場になる。「相互益グループ」とする。具体的にはC・F。国際交流基金 と提言の一つがこのグループに属する。提言に国際交流基金が加わっていることを考慮すると国際交流基金の立場が見えてくる。第三は、“世界公共財型日本語普及”。国は基点にはなるが、人間が直接的な発信・受信の対象となる。更には、直接的に相手国、人を介して間接的にも相手国も発信・受信の対象になる。「国際益グループ」である。このグループはB・D・Fで財団法人と独立法人による日本語普及の目的である。具体的な受容者は技術者、移住者、海外の小中学生となる。
これら三つのパターンは対立的に捉えられることが多いが、図が示すようにパターン2はパターン1を内包して、パターン3は1と2を内包している。対立というよりは、パターン1から別の要素が加わり、パターン3と理解したほうが良い。このことは、他の政策でも同じことがいえる。例えば、外交において自国の国益ばかりに固執すれば、反対に国益を損なう結果になるだろう。言語普及政策も同じで、自国の都合のみで相手国に言語を押し付けることは不可能だ。自国のみでなく、相手国にとっても、そして国という単位でない一人一人の人間にも利益のあるものでないとその言語は学ばれることはない。
まとめると「日本語の普及は、それ自体あくまでも手段でありその目的は国益、相互益、国際益と分類できる」となる 。