2 言語普及と相互益・国際益
日本語を海外で普及させるというと、未だに戦前の植民地を連想する者は多い。戦前の日本語普及政策は、日本がアジアを支配するための道具以上のものではなかった。故に、日本語普及というと、最初に嫌悪感を示すのである。
しかし、近年の国際言語教育制度においては、一国の言語の普及が国益よりも国際益や相互益の文脈で言及されることが多い。単に自国の理解を求めるのでだけでなく、相互発信・受信により相手国のことも理解する試みが、言語普及政策の相互益であり、国だけでなく直接に人間も受信・発信の対象と捉える考え方が国際益としての言語普及政策のあり方である。直接に人間を対象ということが、イメージが沸きにくいかもしれない。これは例えば、母語以外の言語を学習することで、その人の人生の選択肢が増えることや、学習した言語を通して他の国の人たちがコミュニケーションし連帯することなどである。ここでは地球公共財と言語普及政策の近接性を指摘し、また、とかく国益のためと考えられやすい言語普及政策がどのような意味で国際益や相互益と捉えられているか幾つかの言動を見てみる。
【図1−2】 (出所:星野昭吉〔2008〕世界政治と地球公共財)
地球公共財とは何か。星野昭吉(2008)は、公共財の側面を集約した表現が非排除性(誰かが財を消費することから排除することは技術的、政治的、あるいは経済的に実行不可能であるということ)と非競合性(ある人の財の消費が他者の財を借用することを減じないことをいう)であるという。
そして、公共財の性質が、今日グローバリゼーションの進展によって、これまでの国家中心的公共財から地球中心的公共財へと変容しつつあると述べる 。これは、グローバリゼーションと密接な関係性をもっている地球規模の問題群を解決し、人類のだれもが便益を享受するために、地球公共財の供給を理解し、方向づける必要性が生じたからである 。
では、必要性から生じた地球公共財は、地球公共空間の他の公共空間及び、そこに存在する他の公共財と如何なる関連は持ち、如何なる特徴を持った財と言えるだろうか。星野によれば、公共財が成り立ちうる可能性をもつ空間を公共空間と見た場合、その典型は国家社会空間であるが、その空間を乗り越え、より上位のかつ広い国際公共空間も、また、国家公共空間の一部の、より下位のかつ狭い国内社会空間までの多種多様なレベルでも公共空間は存在していると言う(図1−3参照)。また、それらはグローバリゼーションの進展により全体の公共空間の枠組みが著しく拡大した。グローバル・レベルから個人レベルまでのそれぞれのレベルの公共空間は他のレベルでの公共空間から区別できるものではなく、それぞれ相互に影響する関係にあり、連動関係を構成している。グローバルな公共空間の在り方が国家公共空間ばかりか、より下位レベルの公共空間にも浸透してグローバル公共空間に組み込まれていく。それとは反対に、下位レベルの公共空間が、国家のさらに地球公共空間レベルに浸透し、そのレベルの在り方に影響を及ぼす (図1−4参照)。
【図1−3】 【図1−4】
図1−5
(出所:星野昭吉〔2008〕世界政治と地球公共財)
地球公共財の存在する地球公共空間が他の公共空間から影響を受けることを考えれば、地球公共財も他の公共財から影響を受けることを意味する。特に国家公共財との関係は緊密で、I.カールとR.メンドーザ は、地球公共財とは国家公共財と国際協調から成るとし、国家公共財のグローバル化と述べ、それを星野が人々の生存や生活のあり方まで規定することを重視して、グローバル化された国家共有財と言い換えた 。
いずれにせよ、このような空間的広がりを持ち、且つ相互の公共空間・公共財に影響を与える地球公共財とは、すべての国家、地域、社会、人々を含めた主体にとって普遍的な財である 。
では、日本語を普及させることが、上記のような地球公共財の性質を有しているのだろうか。まず、私たちは日本語が日本人だけのものだという考えを捨てなければならない。欧州評議会の言語政策部局は、1971年スイスのルシュリコンで行なわれた成人教育における言語についてのシンポジウムで、“言語学習は万人のためのものである”“言語学習は学習者のためのものである”という原則を打ち出した 。現在、約300万人もの人たちが海外で日本語を学んでいる。そして、今日日本語が学ばれるようになったのは、地球規模での国際化(グローバリゼーション)の進展によってであり、その具体的な政策として多文化主義政策が採られ、それに連関する多言語教育の中で日本語が学ばれた 、すなわち各国の学習者が主体的に日本語学習を選択している事実がある。日本語が日本一国を超えて通用性を備えていることは地球公共財の資格を有する。問題は、日本語を学習することがすべての国家、地域、社会、人々を含めた主体にとって普遍的な財であるか否かだ。これは日本語普及政策がどのような目的で行われるかによる。第1節で見た通り日本語普及政策の目的は、諸機関や提言によって目的は様々だ。その中で、時に国際益・相互益より国益が前面に出ることも否定できない。しかしながら、100%地球公共財の用件を満たしていないと、それは地球公共財と言えないのか。星野は、不純であるものの地球公共財(準公共財)と中間地球公共財という概念を前掲書のなかで述べる (図1−2参照)。不純であるものの地球公共財とは、一つの国家グループ以上に享受され、すべての国、すべての人々、すべての世代に便益を与えるという方向性が明確である場合の財であり 、中間地球公共財は、最終地球公共財を規定するものである という。このように考えると、言語普及政策による共有かされた言語集団は、図の中の一つに属しているというより、その領域を私有財から地球公共財まで拡大の過程にあると言える。次のページの図1−5を参照して欲しい。
実際、日本や世界の言語普及政策に関する言動は、国益を超えた射程の広がりを持つ。例えば、国際交流基金が中心になり考案した「国際相互理解と友好親善」「国内外を繋ぐ原動力」という理念は、日本語教育年間2006年度版(国立国語研究所編)特別寄稿“「国際交流基金 海外日本語教育調査」から見た日本語教育の推移”で嘉数勝美により示されている 。そこには日本から相手へ向けての一方的な働きかけだけではなく、相手からの働きかけを促し受け入れる姿勢を見ることができる。
【図1−5】
(筆者作成)
私たちは、日本語は日本人だけのものと考えるがちだ。しかし、慶応義塾大学総合政策教授平高史也や前述の嘉数の想定する日本語普及政策はその射程を超えて構想されている。日本語を日本人だけのものでないと捉える視点は、平高(2006)の次の言動に表れている。長くなるが引用すると、「多言語多文化化の進行にともない、日本語も言語や文化を異にする人どうしの出会いの仲立ちをすることが多くなり、国籍や民族を超えた多様な使用者、すなわち「日本語人」が共有するものとなっている」 。「多言語多文化化した社会では、一人の話者が複数の言語を操り、対話者、話題、場面などによって使用言語を使い分ける。日本語をその中の一つの選択肢として位置づけ、他の複数の言語との関連でとらえるという視点が今もとめられている」 。
また、嘉数は私とのインタビューの中で“相互理解の日本語”とは単に日本と相手国との関係に限定されるのではなく、第三者間でのコミュニケーションツールとしての日本語、すなわち国際益としての日本語普及を意識していると述べた。日本語普及の意義を2005年
にUNESCOで採択された「文化多様性条約」 を例にとり、私に説明した嘉数の姿は氏の目指す日本語普及のあり方を象徴しているのではないだろうか。
両者に共通していることは、現状約300万人いる海外の日本語学習に対して何ができるか、世界の中での日本語の役割という視点である。それは、日本語を普及させることを目的にしているのではなく、結果普及させるという意識と言ってよい。
上記のような認識は、海外の言動にも表れる。2005年バンコクで行なわれた「アジアにおけるフランス語戦略会議」でのフランス外務省国際協力開発総局のミシェル・リュモ文化協力・フランス語部長の次の言葉がそれだ。「これからのフランス語戦略は〜(中略)〜フランス語を公用語として使用するよう働きかけることではなく、人々がコミュニケーションや知識会得のツールとして今日、英語を学んでいるように、フランス語を仕向けることである」 。かつて、フランコフォロニーがフランス語をテコにフランスの影響圏を維持拡大する外交戦略の柱であることは、否定しがたい事実である 。フランス語普及の理念の変化はどのような政策の変化になって現れてくるだろうか。他にも、アメリカという一つの国の中で実施されている複数の言語の教育指標“SFLL”やヨーロッパという国を超えた地域で使用されている複数の言語にあてはめた“CEFR”などにも、言語普及の財としての領域が拡大していることが理解できる 。
母語以外の言語を学ぶことで、その人の選択肢や知識の幅を広げることができれば、また、多くの人がお互いの国の文化を理解し、国と国の距離を縮めることが可能であれば、言語普及政策のより生まれた言語共同体空間は、有益な地球公共財である。
勿論、これらの政策は解決しなければならない課題も多い。例えば、英語に対して言語の多元性を主張しても、その一方で多元性の中にも選ばれなかった言語はどうなるのか。また、ある言語を学んで、どのような便益を学習者は得ることができるのか。あるいは、国内に目を向けたとき、国内の少数言語に言語生存権が保障されていないのなら、または国内に多元的な言語空間が存在していないのなら、一国の言語普及に関して相互益・国際益の意味を持たせることに説得力は持つまい。
いずれにせよ、具体的な政策によって言語普及の財としての領域は拡大もするし、縮小もする。