第2節 今後の見通しとその要因 1今後日本語普及に関する予測〜外務省の政策転換と中国語の影〜

第2節 今後の見通しとその要因

1 今後日本語普及に関する予測〜外務省の政策転換と中国語の影〜

 第1節では、日本語の普及状況とその要因を見てきた。それによれば、日本語はアジアで十分に普及している。定性的な課題は残るかもしれないが、定量的には問題ないはずである。しかし、今外務省は日本語普及政策を転換しようとしている。これは、現状に対して問題点を見出し、危機意識をもったからに他ならない。
2004年12月22日読売新聞夕刊の一面の記事は、【日本語学習 海外に100拠点〜中国に対抗 3年で10倍に】である。中国に対抗することで日本語普及政策の何を変えようとしているのか。記事では、「2億1000万円を来年度予算案に盛り込む」とある。また、「自前で講師を雇ったりする従来の方式を改め、コンビニエンスストアなどの店舗拡大に利用される『フランチャイズ方式』を採用する。日本語講座のある大学や民間の日本語学校などにテキストや学習ノウハウを提供するもので、低予算で拠点を増やすことが可能となる」「世界的に人気を集めている日本のアニメやポップカルチャーを紹介できる日本語教師を、こうした日本語普及拠点に派遣する」とある。 
この変化は、これまでの需要対応型の日本語普及から中国の運営方式であるフランチャイズを模した供給型の日本語普及政策への転換といえる 。供給を重視した日本語普及政策となると、植民地での言語普及政策にまで遡らなければならないので、この政策転換が間違えなく行なわれれば、戦後初の積極的言語普及政策と言うことができる。
では、何故今この時期に外務省は政策転換を試みようとしているのか。記事によると、中国がキーワードになっているようだ。冒頭述べた中国の新聞記事(「外国人の中国人学習者が3000万人に」『CRI online』)によると、海外における中国語学習者数は3000万人いて、今後1億人にまで増えるという。この数字は疑問が多いのだが 、日本語を普及させる上で中国語の存在が問題なのだろうか。
ここでは、まずこれまでの日本語普及における中国語の位置づけを考察したい。日本語の普及に関して、これまでに模範あるいは目標とされた特定の言葉は見当たらない。しかし、言語普及をより広く文化交流事業と捉えたとき、その役割を担う国際交流基金が、イギリスのブリテッシュ・カウンシル、ドイツのゲーテ・インスティテゥートをはじめとする欧州諸国の類似の機関を参考に創設されたことは「国際交流基金のあらまし」 に詳しい。国際交流基金が毎年発行する年報(一時、国際交流基金概要事業報告に名称変更)は1987年から1998年まで国際交流基金の規模を予算、職員総数、海外事務所の項目で、先の二つの機関と比較している。1999年の年報から、その比較さえ行なわれなくなるが、2007年に前述の国際交流基金・日本語教育懇談会「今こそ、世界に開かれた日本語を」の中で、英語、フランス語、ドイツ語、そして中国語教育の海外展開を参考としつつ、わが国独自の数値目標を設定すべきと主張している。
 なぜ、イギリスのブリテッシュ・カウンシル、ドイツのゲーテ・インスティテゥートが国際交流基金設立の参考にされたのかは定かではない。しかし、基金の発足が1972年という高度経済成長を経て、経済的には先進国に追いつき、次に文化面での貢献、影響力を求められた時期 であることから、当時日本と同等の経済規模を有するイギリス、ドイツが対象となったと考えられる。また、紙面には両機関に関する事実のみが記されていて、あくまでも研究対象と捉えられている。
 このことから、次の二点が言える。一点目は、言語普及の際に中国語が他国の例として取り上げられるのは最近のことである。二点目は、海外の例を参照する時に、中国語の場合は危機意識が強くなる。
 一点目に関しては、国際交流が発足した際、経済規模により参考機関が選ばれたことを思い出せば明らかだ。当時、中国の一人あたりのGDPが100ドル〜175ドルと推定されていたが、それが今や1283ドル で、国の経済規模ではアメリカ、日本、ドイツに次いで世界4位になった。更に中国の経済規模は今後も伸び続け、日本を抜くと推測されている 。経済力において対等になったことは、その他の分野でも中国が日本の比較対象国になり、言語政策の分野でも現れてきたことが理解できる。
 二点目に関しては、国益上の観点から指摘できる。「アジアの一員」という外交原則を打ち出したのは1957年の岸内閣である 。戦前の中国、朝鮮半島に代わる日本の輸出市場や工業原料の供給先として浮上した東南アジアへの進出 、とう事実を考えると、それは多分に経済的理由であるのだが、同じように近年においてもアジアが日本の国益と密接に絡んでいる意味で日本は「アジアの一員」である。実際、国際交流基金の地域別事業実績額の割合が1987年以降アメリカのそれを上回っていることに、日本がアジア地域を重要視していることを知ることができる 。そのアジアにおいて、今後ライバルとなる言語はドイツやフランス語ではなく、中国語になることは、図2−5、図2−6で理解できる。一国の言語が普及する地域は、経済的つながりや文化的なつながりがあるところである。ドイツ語やフランス語が日本語と同じくらい世界で普及していようが、その地域が異なっているので、日本語学習者の減少への影響は少ないと予想される。また、旧植民地とその宗主国の言語の関係を除けば、両言語が日本語の普及しているアジアで今後日本語以上に需要が増える、すなわち日本以上に経済的、文化的つながりができるとは考えにくい。しかし、中国語が普及するという状況は、ドイツ語とフランス語と意味が異なってくる。中国語が普及するとは、普及地域が日本語とかぶるため、第二外国語として日本語ではなく、中国語を選んだ結果だと想像がつくのである。
 また、最大の中国語を脅威と捉える根拠は、現在の中国の経済の発展がこれまで日本語が普及してきた根拠を奪うものであるからである。繰り返すようだが、日本語が普及してきた要因は、経済発展によるアジアでの比較優位の確立とその時代の多文化主義、複言語主義に表れる世界の国際言語教育政策による。各国が第二外国語として様々な言語をカリキュラムに入れるとき、アジアの言語では経済力のある日本語が選ばれてきたという流れである。しかし、今後の中国経済の規模が日本を凌駕すれば、日本語を選択する必然性が奪われることになる 。比較優位が失われた日本語が今後も選ばれ続けることは難しい。
 以上のように考えると、中国語に対する外務省の警戒感も納得はできるのである。