阪神淡路大震災から16年が経ち、震災を経験していない若い世代が増えています。歳月とともに記憶が少しずつ風化され、体験や教訓を語り継ぐ“語り部”として活動する人も高齢化とともに減ってきているという現状がある中、今年の1月18日の読売新聞に「震災追悼で居眠り、注意の教諭に暴行…中3逮捕」という見出しがありました。芦屋市のとある中学校で実施された阪神淡路大震災の追悼集会で、3年生の男子生徒が居眠りを注意されたことに逆上して教諭の胸ぐらをつかんだという事件。 1995年1月17日の阪神・淡路大震災では大きな被害を受けた芦屋市ですが、中学生にとっては生まれる前の出来事になっています。震災の教訓を次世代に伝えていく取り組みが形ばかりのものになってしまっているのではないかと考えさせられる記事でした。
一方で、勇猛心を奮い立たせた出来事もあります。傾聴ボランティアグループ「お花し友の会」は、外出が困難で閉じこもりがちになっている方や、一人暮らしのためひとりで過ごされる時間が多い方のお宅にお花を持って訪問し、その方のお話しに耳を傾け、心に寄り添う活動を展開しています。活動先の対象者に、お話好きなユーモアあふれる男性がいます。その男性は、お花し友の会のメンバーが来るのをとても楽しみにしており、毎週話のネタを準備しては、雑談や政治の話、貴重な体験談…と、いろいろな話をしてくださるそうです。中でも聴くことが少なくなった戦争の体験談は、とても貴重な身にしみる話でした。ちょうどその頃、広野小学校6年生が修学旅行で広島平和記念公園へ行くので、その事前学習として子どもたちに戦争体験話してくださる人を探しているという話を聞いたお花し友の会のメンバーは、彼なら、子どもたちに戦争の悲惨さと平和について考える機会を与えてくれるのではないかと、さっそく依頼。「自分も何かできるボランティアで恩返しができたら…」と話されていたこともあって、快く引き受けてくださることになりました。普段は支援を受けることが多い男性だが、戦争を知らない子どもたちに自分の体験を語るという、彼にしかできない“語り部”としての活動が実現しました。「戦争は、それはそれは惨たらしいものだ。平和はみんながつくっていくんだよ。」と、心から平和を願う男性の想いを受け、子どもたちは広島へと行きました。
「これからの平和をつくるのはみんなであって、ぼくもその一人です。この世の犯したあやまちを二度と犯さないために、ぼくはしっかり学習します。」「平和のことがよくわかるまで、勉強を続ける。その後は伝える。まだちゃんと知らない人や年下の人にしっかり伝えないと、その人たちが戦争をおこしてしまうかもしれない。そのために絶対平和の灯を消してはだめだと言えるようになる。」
これは、修学旅行から帰った子どもたちが書いた『平和について、自分たちができること』をテーマにした作文。お花し友の会のメンバーが先生から預かり、男性に読んだところ、子どもたちが素直にメッセージを受け止め、平和についてしっかり考えをもっている姿にとても感動し、喜ばれていたそうです。
「伝える」ことの難しさを感じさせられる現実がある一方で、教訓を真摯に受け止め、さらに次の世代へとつなげようとする子どもたちの可能性を見ることができました。16年前、当時小学2年生だった私は、神戸で震災に遭いましたが、その記憶も時間とともに薄れて行っているの実感しています。幸いにも自宅は大きな被害にはならなかったのだが、被害の大小ではなく、自身が体験した被災を若い世代の人たちに語り継いでいくという役割が自分にもあるということを改めて子どもたちに教えてもらいました。