「バンコク及びカンボジア旅行記(6月27日〜7月16日)」 雨宮一六
6月27日より7月16日までバンコック及びカンボジアに行ってきました。その間の所感を日記風に下記しるしました。御笑覧ください。
◆6月27日(土)
台風がベトナム北部沖にいるため 少々大回りしベトナムの南側よりバンコック新空港に入り一時間遅れで到着。
新空港と市内を結ぶ高架鉄道(30kmぐらい)が 今年2月のバンコック訪問時とあまり変わらぬ姿で闇に沈んでいる。あとで聞いた話ではそれでも工事は遅遅と進んでおり12月の国王誕生日には仮オープンし 来年半ばには操業開始となる予定。 SHINOTHAIという現地有力土建会社が請け負っており この会社のオーナーが現政権の内務大臣ゆえこのスケジュールで行けそうな感じである由。このスケジュールでゆけばめでたしめでたし。
◆7月3日(火)
プノンペンに行くため5時半に朝食。タイのホテルでの朝食はほとんどがブッフェスタイルでフルコースあり 通常6時からOPENとなるが 30分前くらいから料理が並び始め早めに食べられるゆえ 早く出発の必要がある今回のような場合とか早朝ゴルフには非常に便利である。
ホテルの前にタクシーがたむろしていたが高額(?)で吹っかけてきたゆえ相手にせず 流しのタクシーに乗り30分で飛行場に着く。高速料金を入れ300バーツ(千円)。
バンコックの便利さと安さに今更ながら驚く。
プノンペンではメコン河沿いのカンボジアナ ホテルにチェックインしたが ホテルの前にロングボディのリムジンとベンツが数台駐まっており フランス系の経営よりカンボジア人(携帯電話会社”モビテル”のオーナー)の経営に移ったことを知る。
カンボジアの人口は1,500万人ぐらいに増え 首都プノンペンの市街地も2-3倍に広がっており人口も200万人に近いらしい。 裏道も舗装され通りが整備され 高層ビルが散見され 車の数が増大し朝晩のラッシュ時には渋滞がみられるようになった。ゴルフ場にはカンボジア人のプレイアーも多く富裕層が確実に増えている。
しかし一方では35万人の雇用者を抱え一大輸出産業に育った縫製工場も最近の世界不況のあおりをまともに受け首切りが頻発しその数が6万人に達しており 特に中国系は工場をたたみ雲隠れしてしまう場合もあり社会問題化している。最近の新型ウイルスの影響もあって観光客も大幅に減り次第に不況色が強まっている。
日本はあれだけ東南アジアのODA大国にしようODA資金を重点供与し 橋 道路 港湾 水道 灌漑 等あらゆる分野で援助してきたが 肝心の民間企業による投資はみるべきものがない。遅く出てきた韓国にも先を越されたが 日本の国際性のなさによるものであり一朝一夕には変わるまい。
カンボジアとタイとの関係は非常にデリケートである。 カンボジア人は現在落ち目だけに栄光の過去(アンコール時代はタイを支配していた)に対し強い自尊心を持ちつつ 現在の大きな格差に対し歪んだ嫉妬心も強く 一方タイ人はカンボジア人を感情的で理解しがたい不気味な人種であると考え違和感を感じている。
数年前にはタイの女優がカンボジアを侮辱した発言をしたとして 大使館を焼き打ちする事件に発展しタイ系のホテル等も放火にあった。
最近はプレアビヒール寺院(タイ カンボジア国境にあるアンコール遺跡)のUNESCO世界遺産登録問題で国境紛争事件に発展し 兵士の銃撃戦で兵士が数名死亡した。1962年にWORLD COURTがこの寺院はカンボジア領に属すと裁定しているのにもかかわらず政治の問題になるとすっきりいかぬものらしい。
◆7月4日(土)
バンコックにもどりスクンビット通りのSOI NANA(SOI 4)に面した新築のフランス系のホテルにチェックインしたが 通りにもホテルの宿泊客にもインド系の人が目立つ。もともと通りの名前の NANAはタイにおけるインド華僑の成功者の名前であったとわかり納得。
それにしてもちゃんとしたホテルで朝食込3,500円は安い。
◆7月7日(火)
今日は仏教の日で休日であり 前日(6日)がサンドイッチ・ホリデイとなり4連休。5月にチェンマイ動物園のパンダが人口受精で出産 子供はまだ身長40cm 体重2kgぐらいだが 毎日五千人以上の見物客が押し寄せる騒ぎで 動物園はほくほく。但しかつての上野動物園のパンダ騒ぎのように 見物客が多すぎほとんど立ち止まって見られないらしい。中国政府との契約で2年後に子供も一緒に中国に返さねばならぬが タイ側はこれを引き延ばそうと交渉中。
今年のウィンブルトンテニス大会でフェデラーが15回目のグランドスラムを達成し世界記録を達成したことが報じられたが チェンマイ出身のノパワン嬢17歳が ウィンブルトンの ジュニアー シングルス/ダブルス両方で優勝し全国民あげて大喜び。数日後帰国したが国民的英雄(?)扱いで首相はじめ皆さんの温かい歓迎を受けた。日本も含めアジアでは世界一流のスポーツ選手が少ないゆえ 頑張ってほしいものである。
◆7月10日(金)
タイ人の友人とバンコックの西南200kmにあるホアヒンに向かう。バンコックはチャオプラヤ河の堆積平野であるため平坦で山がない。数十キロ行くと途中から山が見え始めほっとする。 150km地点で山に囲まれた日本にあるようなゴルフ場でゴルフをやり 夜はホアヒンにある陸軍基地のホテルに泊まる。一泊5千円のホテルで 海岸に面し眺望も良いし治安は当然ながら最高。タイのニュジージランド留学生 OB会のメンバーがこのホテルに参集(私はこの会に関係ないが友人がこのメンバー)。このOB会はボランティアー活動 ゴルフ 旅行等の親睦活動をやっており200人以上のメンバーを擁する。
◆7月11日(土)
バンコックを出るとき友人の車の中にパック牛乳のケースが15箱ぐらいあったゆえ一瞬不思議に思ったが友人は900頭の乳牛を飼っているゆえその後はあまり気にも留めなかった。これが本日は大活躍する。
OB会総勢40人ぐらいでブラック・マウンテン地区の小学校を訪問した。生徒数60人 先生5人の小さな小学校である。 先生の給料は国からでるが 生徒の授業料 教材費 食費 制服代に対して国の補助はなく 父兄も貧しいゆえ負担させられぬと ボランティアの寄付協力に依存している由。 OB会より約10万円と(友人持参の)牛乳パック カップラーメン等食糧を贈与する(私もこれにはチョッピリお金を寄付)。
このようにタイ人はほとけ心が篤くまめにボランティアー活動をやっている。感心感心。
その帰りに海岸にあるマングローブの植林を見学した。
◆7月12日(日)
ホアヒンには昔から国王の離宮があり ホアヒン鉄道駅(バンコックよりマレイシアに行く鉄道沿線)の裏に非常に歴史のあるゴルフ場があり 有名な静かな別荘地域ではあったが 最近急速に開発され ゴルフ場は今や20 ぐらいはありそう。シャム湾をはさんでパタヤの対岸になるがパタヤが俗化してしまった故 タイ人はここを好むらしい。しばらく行かない間におおばけしているのに驚く。
◆7月16日(木)
朝3時半にホテルを発ち30分で飛行場に着く。それにしてもこんな早朝にタクシーが多く短時間で安く行けるのにいつもながら驚く。
タイもこの大不況の影響を受け景気が落ち込んでおり 友人たちも口では大変だと言うが概してあまり大変そうに見えない。良い意味での大家族制度が生きていて首切りされても最悪田舎に帰えると食べられる 兄弟友人を頼るとなんとか食べられるという社会がショックアブソーバーのような役割を果たしているためではないかと思う。
一方、日本では大家族制度が崩れ 失業すると行き場がなくホームレスにならざるをえないような人が増えている。 日本人も昔の良きところを取戻し ギスギスした社会ではなく優しい社会を作るよう努力する必要があると思う。
こんな事を考えていたら成田に着いたが 自宅までバス 電車を乗り継ぎ4時間以上かかり こんなところに飛行場を作った国際性のなさにあらためて驚く。国民不在の好例か。