「仁川の村のこと」『異邦人の立場から』

仁川まちあるき

 文化交流部 『デジタルカメラ技術講習会』を受講されている方のうちのお一人から、「むかしある講演会で、作家・遠藤周作さんが仁川地域について書かれたプリントを手に入れ、いまも所有している」と聞き、内容を確認させていただきました。

 以下が、その内容です。現代の光景に通ずるところもあり、非常に興味深い内容となっています。どうかご覧ください。

 僕の住んでいた家は仁川の弁天池という大きな池のすぐ近くにあって、その頃は、あたり一面に葦の芽が生え、初夏の夜などは蛍がとびかっていたものである。(中略)とりわけ、ぼくが最も好きだった散歩道はこの仁川のゴルフ場をぬけ、小林村の聖心女子学院の裏山に出て、逆瀬川におりる山径である。(中略)この径と、それをとりまく風景とは一種、特別な雰囲気をもっていて、ぼくば後年仏蘭西のサボア地方に遊んだ時しばしば、あの仁川の散歩道をよみがえらしたものである。
 少年の頃、ぼくはこの径の一角にある法華閣という寺が大好きだった。寺は山の中にあってその山には清冽な姉川がだれも訪うものもなくかすかな音をたてているのであ
る。今だから白状するが、その頃、ぼくはこの谿川に一人で毎日、しのびこんだものだった。夏草と名もしれぬ草花のおいしげる山と山との闇に聞えるのは川のせせらぎだけである。川の中に素足をひたすと、それは氷のように冷たい。そして小さな魚が岩や石の間を素早く走るのである。

 (続きは、当コーナー第2回に続く。)

 引用文献=「仁川の村のこと」『異邦人の立場から』所収、初出1956年6月23日「大阪新聞」

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 文章をご提供くださった、『デジタルカメラ技術講習会』受講生の方、本当にありがとうございます。

 資料は大切に保管させていただきます。

 文化交流部長 永崎 文子