[仁川まち協]デジカメ技術のコーナー vol.00215
今日の写真は、我家の庭の甘夏の木のすぐ後ろから、「甲山方面の眺め」を写したものです。
我々の仁川地区からの甲山の眺めはここ数年で一変してしまいました。
長い間、仁川の自然を守るために認可されなかった山の方の地域の開発が何故か認められ、密集した家混みで甲山の視界が殆んど遮られ、それでも頂上部分だけはこの写真にも写っているようにその存在が確認できます。
一方で、高齢化が進む高丸の地域に若い層の人たちが増え、町に若さが戻ってきたという恩恵も出ています。
このような景観のことで思いつくのは、首都圏を中心に関東地区に多い「○○富士見町」という地名のことです。例えば、東京都の中野区には、「中野富士見町」という地下鉄の駅が今でもあります。ずっと昔は、東京の至る所から富士山が望め、新田次郎の「富士山頂」という小説の中でも、彼が徹夜で小説を書き続け、朝書斎の窓から富士山頂を見たという部分がありますが、その後は次々と背の高いマンションが建ち続け、今ではよほど恵まれた場所からしか富士山は見えません。
高層建築を規制する法律には、富士山の展望を保証するという考え方を取り入れることは当然ながら出来なかったのでしょう。
ゴルフで千葉の房総半島まで行った帰りの田んぼ道で、突然富士山が見えることがありましたが、開発行為による人の生活の利便性、街の活性化と、自然・景観保護が両立しないことを痛感しました。
いま宝塚市の各地域で「地区計画」を策定して、良好なまちづくりを図る活動が進められていますが、そのことに思いを馳せながらこの写真を撮影し・仕上げました。
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(写真記事=仁川在住写真愛好家 / 構成&編集=サトウ基裕)