阪急仁川駅ちかくに、6体の御地蔵さんが居られるのをご存知でしょうか?
最近、御地蔵さんの背面にあります看板が新しくなりましたからお伝えいたします。
永崎文化交流部長が写真をとってきてくださり、また、文章を田中副委員長が紹介の文章を書いてくださいましたから、ここに掲載致します。
平成19年11月5日、仁川まちづくり協議会 文化交流部主催『仁川の街ウォッチング』の際、阪急仁川駅前の六地蔵を見学しました。そのとき、説明の看板がわかりにくいとの意見があり、地域の皆様の御協力により理解しやすい文面での立替をしていただきました。
仁川駅周辺へ行かれたおりは、すこし足をとめて、六地蔵を見ていただけたらと思います。
仁川まちづくり協議会の田中邦夫氏に六地蔵の由来について、下のように文章を寄せていただきました。 (文化交流部 部長 永崎 文子)
六体の地蔵様
いたずらに馬齢を重ねたせいだろうか、このごろ近代的な仁川の斎場に赴く毎にデジタル化した葬儀進行とは逆に幼少の昔の悲しさと寂しくしめやかな内に人の「温もり」を感じる野辺の送りが美しい情景になって思いだされます。
70年程以前鹿塩村・東蔵人村から仁川のお墓にかけ北から南に向かう幅狭い一本の野道はその道幅の狭さが葬列の並列で賑やかな行進を阻み、縦に長い葬列が今にも途切れるような一本の白い糸のよう見え遠目にも一層寂しさを募らせる情景であつた、そこには心なしか力弱くはためく白色の幟を先頭に掲げた麻布の着衣を羽織つた人たちが先頭になり列は延々と続き御棺を運ぶ男達の足どリ重く小仁川の坂を上り詰め枡塚の松林白砂の小空間の一画で静かに足を止めた、男たちは巨大な花崗岩の立方体切石の上に棺を丁寧に安置する、蓮弁の石造台座には村人がいましがた持参した死者にたむける色とりどりの供花や供物が飾られ、お香の匂い漂う周辺には六体の地蔵が微笑みのお顔でお迎え下さいました。
この地蔵は僧侶のありがたい読経とともに衆生が自ら知らず知らずに作った業によって六つの世界で苦しむ我々を各界におわし教化救済して下さる菩薩であり今まさに荼毘(当墓S.34頃まで)・埋葬に付され冥界に旅立つ寸前に死者の穢れを除き無垢な者とするため謂わば現世での所業をクリアしてくださるには最も良い処にお立ちでありました。
仁川駅前開発に伴い必要用地として鹿塩・東蔵人財産区管理会の関わる墓地の一部の収用申し入れに際し無数の先祖をお救いになった菩薩でありここより離れて移転していただくことはできない、この場所で安置したいとの条件を提示し市当局の合意を得て石造美術としても景観美を添えることになりお地蔵様は駅前通行の方々の一日の安全を笑顔でもってご加護下さっておられます。地蔵様脇の解説看板は仁川まちづくり協議会「文化交流部」主催「仁川のまちウオッチング」が開催されこの地蔵・弁天池・熊野神社を散策し伝承や歴史地名由来など探求され参加された内熱心なお方から旧看板の解説文には若干の難点があると指摘を頂き財産管理会藤沢正司会長主導で早速金龍寺様に相談ご指導・監修を戴き本年に入り更新したものであります、末文ながら心ある方々から絶やさず供花を賜り紙面にて心から御礼申し上げます。皆様のお地蔵ウオッチングを期待しております。
合掌
2008・3・1
仁川まちづくり協議会運営委員会 田中邦夫