宝塚ホテル移転問題(一小広場円卓会議)倉橋滋樹さん講演要旨(昭和編)

昭和になり、5年に宝塚ホテルを基礎に「六甲山ホテル」がオープンした。また、日本一のダンスホールといわれた「宝塚会館」も同年誕生した。
 順調な滑り出しだった宝塚ホテルだったが、戦争の影響で事業は縮小。敗戦とともに昭和20年9月25日、進駐軍により宝塚ホテルは接収された。この接収は30年2月14日まで、10年余りの長いものであった。この期間中の昭和26年には宝塚映画製作所が誕生し、撮影所のある宝塚には多くの映画人が集まるようになった。

そして、昭和29年宝塚市が誕生、宝塚ホテルは、宝塚市にある阪神モダニズムを象徴するホテルとして、市民に親しまれていった。
 昭和30年、市民の文化の祭典ともいうべき第一回宝塚市展は、宝塚ホテルを会場に行われた。市制発足から1年、公共施設もほとんど無かった宝塚市にとって、市民文化の拠点として位置づけられていたのだ。
 今日までこれは続き、成人式を始め、多くの市のメイン行事は宝塚ホテルを会場に行われてきている。

こうした結果、宝塚市民は、生活の中で、いずれかの折宝塚ホテルに足を運んでおり、市民に身近な存在となり続け、歳月と共に磨かれた居心地の良さ、上品ではあるが敷居は高くなく、しかし建物に入る際、矜持を感じる地域に根付いた格式あるホテルとして親しまれている。

また、宝塚ホテルを利用した著名人は数知れず、建物を接点に多くの交流が生み出されてきた。宝塚映画製作所で制作した映画に出演した坂田藤十郎(当時中村扇雀)、森繁久弥、三船敏郎、若大将シリーズの加山雄三、星由里子、司葉子など多くの俳優がこのホテルを利用したであろう。そういった歴史を持つ宝塚ホテルは宝塚市民が内外に誇れるホテルであり、建築的価値と共に、いにしえの面影を未来に伝える価値あるホテルといえよう。