若者よ。
僕は気がついたら、若者じゃなくなってた。
仕事環境の中では「若い人の感性で」なんて
まだまだ言われるがとっくに若者ではない。
もうかなり感性と経験のバランスが悪くなってきている、と思う。
徹夜仕事も続かなくなってきた。
責任も増えて、仕事や趣味以外にも
やらなければ行けない事はたくさんある。
備えておかないといけないことが増えるばかりだ。
本当にやるべき事は常にリストの最下部である。
はったりだけは一人前になったが、
踏ん張りが効かなくなってきた。
短距離的なアイデアを量産するが、
実現できる数は減って来た。
しかし、僕は30歳になり、自分のやりたい事と
周りから求められる事は一致するようになってきた。
忙しすぎてイライラすることはあっても、
時間を無駄にしているとか、仕事に人生を捧げているような
そんなストレスはまったく感じないでいられる。
それでいて、まだまだ助走中であると感じでいる。
なあ 若者よ。
どうして、そうすぐに結論を出そうとするんだ。
いま何かを目指して動いているのならば
その先だけをちゃんと見ていなさい。
道の先の目的地へは、歩いたり、自転車に乗ったり
車にのったり、電車にのったり
それぞれの方法があっていい。早くても遅くてもいい。
自立の早い遅いをグダグダ言うような人の
人生観に耳を傾けることが一番時間のムダなのだ。
そんなことよりも
何か夢中になったなら、どうして納得するまでやらない?
賭けにでたのなら、どうしてボロボロになるまでやらない?
向いてるとか向いてないとかいうほどやってみたか?
もう知り尽くしたとか言うほどやってみたか?
君らは、目的地の手前に濁流があったら
すぐにそこであきらめるだろ
川に入ってみることもしないであきらめるだろ
底が浅いか深いかも確かめない
橋をかけようともしない
応援を呼ぼうともしない
「ほかにもやりたいことがあるから」といって
近くの、違う目的地への道を進みだす。
また障害物がある。
また違う道を選ぶ。
それでは目的地に着かない。
そのうちにどこを走っているのかわからなくなるぞ。
違うんだよ。
どんな形でもいいから、障害は越えなさい。
思いっきりかっこわるくて恥をかいても構わないから。
遠くで見ている人ほどそれにアレコレ言ってくる。
しかし「自分のやろうとしていること」を
いったい自分以外の誰がわかるというのか?
口出しする人ほど、何にもわかってないんだよ。
あなたに近いひとほど、
あなたが障害をこえようとしているかどうか、を見ている。
「しようと思う」とか「するつもり」というのは
「する」とは天地の差があるんだぞ、と
僕は若い頃にものすごく叱られた事があるよ。
いいか?
本当に、自分のやりたい事なら、
恥をかいてでも叶えるのと
恥をかかずにあきらめるのと
どっちがいい?
せめてそれぐらいの冷静な判断力をもちなさい。
先が見えなくて、とても不安ならば、
それは
とてもいい事なのだ。
その不安と向き合う事でしか成長はありえない。
不安とむきあっていることは
つまり障害を越える事に等しく
気づいたら、あなたは濁流の向こう側にいる。
これから何十年もある将来と
今もっているプライドを
計りにかけることこそ、恥ずかしい事だ。