時は戻る。親の話し。
僕の記憶は3才ぐらいからある。
僕の実家は兵庫県の加古川市、三木市、加古郡のちょうど境目
八幡町というところである。
近くに神社があり、10月には祭、2月には縁日がある。
裏に川が流れていて、四方を山に囲まれた盆地で風がいつも強い。
夏暑く、冬寒い。
最寄り駅まで自転車でとばして10分。
電車はたいてい1両、1時間に2本。
一番多い時、家には親犬が2匹、子犬が4匹
猫一匹、ウサギが2匹、インコが2匹いた。
僕はひとりっこなので、むちゃくちゃ甘えん坊。
いまでは超親不孝ものだが、写真を引っ張りだすとオトンもオカンも猫かわいがりしていたのがよくわかる。
加えて僕は病弱だった。
月1回ぐらい熱を出して。38、9度なんてのはざらだ。
寝込むと長い。扁桃腺が弱い。プールにはいると中耳炎。
おまけにどんくさい、膝はずっとかさぶただらけ。
海で波にさらわれるわ、塀からジャンプして頭を3針縫うわ、
タケウマにも乗れんわ。いや、ちょと違うな、コレは。
寂しがりやで、おかあさん子だった。
オカンはとにかくいろんな事をしてくれた。
絵本をつくってくれたり、服をつくってくれたり。
毎日とにかく散歩に行って、
僕が気になっているものを帰ってから図鑑で教えてくれたりした。
僕はあんまり感動しない子だったけど、
僕の考えてる事を先読みして、いろいろ買ってくれたりした。
素直に喜べないぼくは、あーほんまに親不孝だったと思う。
おかんがパートに出だしてからは、
犬に泣きながら悩み事をしゃべった。
僕は猫がむちゃくちゃ好きだけども、犬もいい。
犬は、ひとの気分がよくわかっている。
悩んでいると、どうしたの?という顔をする。
やるじゃないか、犬。
オトンも好きだったけど、犬と猫の次にでてくるぐらいである。
お父さん、ごめん。
出張が多かったので、あまり話してないからだろう、
でもボクは反抗期もなく、仲を悪くしたことはない。
両親は異常に仲がいいので反抗する気が失せるのである。
さすが親だと思うのは、困っているときになぜか電話をくれる。
一番お金が無かったことは
「あんた、生活きびしいんちゃうん?お金、振り込んどいたからな、つまらん事に使うなよ 美人の母より」
と言ったメールがくるのである。
「お父さんが心配して、頭がハゲちらかしているので、近いうちに帰ってこい。ところで、彼女とはどうですか?そろそろ別れたような気がしている」
たいていドンピシャなのである。
うちの実家の食事は大雑把。
夕食はたいてい大皿に大盛りである。
どんぶりはうどん用の器にいっぱいいっぱいご飯がつまる。
パスタはわんわん物語なみに大盛りなのだ。
しかも、牛丼のおかずに唐揚げとか、
カレーのおかずに天ぷらなどと食の芸術が爆発している。
しかも、残す事を許さない。
僕はニンジンが大の苦手なのだが、
食べるまで台所でひとりぼっちにさせられたあげく、
皿が洗えんやろと言われ無理矢理口につっこまされていた。
おかげで、キライだけど、食べれる。
食べなきゃいけないような気がして、買ってしまう。
食事の量が多いので、見た目に比べて僕は大食家になった。
朝からカツ丼でもへっちゃらである。メシは1食2合たべる。
パスタはいつも3人分食べたあと、物足りなくてパンをかじる。
クルクル寿司は最高28皿たべた。
食べて2時間ほどでお腹が減りだす。
僕が大学生のとき、定年を少し残してオトンは会社を辞めた。
サラリーマンがバカバカしくなったという。
さて、何をはじめるのかと思いきや、日雇いのような仕事に行きながら、毎日パチンコに行っては負けて帰ってきてぶつぶつ言っているというのだ。
僕は、当時パチンコ屋でバイトをしていたので、そんな堕落した事はやめてくれ、と思ったが、40年近くも働いたのだから。
のんきな事もつかのま、バイト中オカンからの電話。
「いま、おとうさんが手術中です。
すぐ帰ってきて。とりあえず、死んでない」
安心していいのか、心配していいのかわからないが
あんな気持ちははじめてだった。
タクシーで病院まですっとばすと、オトンは麻酔で寝ているらしい。
事情を聞くと、仕事で機械に挟まれて、オトンは右手がダメになったらしい。
運命はいたずらが多い。
いちいち理由は書かないが、僕が小さい頃から2人は苦労した事をしっている。そもそもなんで僕がひとりっこか。なんでオカンがパートに出たか。なんでオトンが出張がちだったか。そんな中でぼくにはほしいものをなんでも買ってくれたのだ。
ばあさんの介護、じいさんの介護。あげくのはてにオカンは体を悪くして入院。と思ったら、オトンは単身赴任。
仲が良い二人は、ずっと一緒にいれなかった。
こういう話はどこにでもあって、全然うちが特別ではないのはわかっている。
そういった不幸をはかりたいんではない。
僕は、おとんが仕事をやめて、ブラブラしていても、
二人が一緒にゆっくりできるのだと思うと、とてもうれしかったのである。
なのに、どうして?
また、落ち着かせてくれないのか。
オトンは手術の前に、パニックで何回も泣いてオカンに謝ったという。
オカンらしいな、と思ったのは、
「そんなんええから、しっかりしなさい!」と一括したらしい。
次の日になって話を聞いてみると、手も指も使い物にはならないが、
なんとか握るぐらいには残す事ができるらしい。
しかしどうやら、本当なら体ごと機械に持っていかれて、
像に踏まれたオツベルのようになるはずだったという。
右手の大事さはみんな一緒だと思うが、
命と何かを天秤にかけるということを初めて考えた。
同時に、オトンは大好きなバイクにもう乗れないんだなと思うと、涙が出た。
もうそれから5年がたつけれど、
いまは二人が平和でいられるので、とてもうれしいのである。
オトンもパートでなんとかやっているし、
オカンは病気もちで働けないらしいが、
オトンとやり始めたパチンコで生活費を稼いでいる。
最近プレステ2を買ったらしく、いくつかは死守するも、
僕のもっていたソフトはほぼトップダウンの権力によって
没収されてしまった。
ファンキーなおかあさんなのである。
少し前、電話したときに、旅行券かなんかが当たったとか言って、
換金するというから、2人で旅行でもいったらどうや、といったところ、
「私らはなあ、あんたがおらな、ゆっくりできひんねん」
僕は、電話を切って、
初めて親の言葉にむちゃくちゃ泣いたのである。
特にあやまることはない気がするねんけど、
ごめんねオトンオカン。
続く。