自分の自分探し 4

大学で働き始めた時、これだけは経験として体にしみついていた。
「あきらめない」「ひとは選べ」で、ある。

僕が忘れられない期間を過ごした神戸店は閉店し
オーナーさんとも連絡はとるけれども
べったりお手伝いをする余裕もなくなっていった。

1年目の夏、知り合いの社長さんのところにお邪魔して
無駄話などしているとき。
「ハタくんはホームページはつくれるんかな?
今度うちの会社でつくろうと思って、よかったらやってくれへん?」
その帰り、僕はジュンク堂で
”ホームページの作り方”本を買った。

同じ頃、4年生が卒研でフラッシュの映像作品をつくりたい、と言う。
「よし、じゃあ、みっちり教えるから、がんばろう」
と言った帰り「FLASHのつくり方」を買った。

最初から読んだ人はお気づきだろう。
いきおいで、なんとかするのだ。

2年目の冬、4年生が卒展ファッションショーのDMをつくってほしいという、まあ、これは楽勝である。できるところを見せてやる、といい気になっていたものの、
ただでさえバタバタした卒展の時期に、これはキツかった。
泣きそうになりながら、余裕の顔は崩さなかったが。

同じ頃、大学生のときバンドをくんでいたメンバーから、
自分のバンドのCDジャケットをつくってくれという依頼。
「じゃ、専属デザイナーにさせてよ。」
ステッカーやら、フライヤーやらをつくり、
楽しい仕事ができたなーと思っていたら、
「リーダーのベースがやめてもたから、ベースな」
だからー、なんでいつもこーなのさ!
と思いつつ、おニューのベースをカードで買う。
4年ぶりのバンド活動が始まった。

3年目の夏頃、映像つくってくれへん?と友達からの誘い。
「よし、まかしといて」と懲りないオレ、どーすんの?
しかし、さすがにこれはもう無理だ。
初めて人に頼む事になる。
卒展ショーで知り合った、環境の学生さんをひっぱりこむ。
あーしてくれこーしてくれといいながら徹夜。

3年目の冬、僕はやっとある意味がわかってきた。
それは「自分探し」だ。
そして、思った。作品がつくりたい。
自分の作品は、ずっとやりたかったイラストしかありえない。
ずっとずっと思い描いていた。
コミックのようで、写真のようで、
かわいくて、ちょっとエロで、ポップなイラストレーション。
「ファッションを学んだ僕だからつくれるイラスト」

自分の趣味を、やりたい事を、何にも気にせずやっていい。
そんなことに気づくのに26年かかった。
それを気づかせてくれたのは就いていたゼミの先生だ。
本当に感謝している。

僕は、何か目標にむかって走ろうとはするが、
いつのまにか、どうも違う道を走っている。

小さい頃の夢は、漫画家か、美術の先生だった。
だから絵を描こうとしたのに、唄を歌っていた。
歌うことで高校を決めてしまった。
歌をやっていたら、デザインの大学に来てしまった。
歌が得意なのに、ギターが好きなのに
バンドではベースを弾いていた。
ファッションの勉強をしたのに、パソコンの先生になった。
パソコンの先生をしていたら、デザインの仕事をしていた。
デザイナーになるはずがパソコン管理の仕事をすることに。
カメラを買ったら、写真のシゴトをやる事になった。
CDジャケットをデザインしていたら
バンドをする事になった。
そして、自分のやりたい事は、いつでもすぐそこにあったのに
気づかなかった。
やってはいけないような気になっていた。

そして、僕はパソコン管理をしていたのに
デザイナーになることになる

続く。