ZEROという夜のニュース番組で
「3年以内に仕事をやめてしまう若者」の特集をしてた。
若者の言い分は、
「やりたい事と違った」
「上司が仕事を教えてくれない」
「誰よりも早く来て誰よりも遅く帰れというようなパワハラを受けた」
などなど。
数ヶ月から3年以内にせっかく就いた仕事先をやめてしまう、とのこと。
大人の立場から若者の立場を批判するような姿勢が
ありありと感じられたので
そもそもそういう視点で企画されたのだと思う。
ある若者はこういった
「人を育てる気が会社に感じられない、仕事を教えてくれない」
インタビュアーに「あなたから仕事を教えてくれといったんですか?」
とつっこまれ、しばし沈黙「…そりゃまあ、でも…」と
いかにも歯切れの悪い返事をする。
そして、メインキャスターの一言
「いまの若者は甘いですね」みたいな事をいうのだ。
「甘い」ってどういうこと?
「甘い」のはわかるよ。出演してるすべての若者の言い分と、
今時の若者が「甘い」ことぐらい
この番組を見てるほとんどの人がわかっているの。
でも、「甘い」っていうことばをアンタが口にすることで、
TVから影響をうける多くの人たちの
「な、若者はやっぱり甘いんや」という気持ちを助長するの。
TVの前の家族の中に嫌な空気が流れたりするの。
そして、その言葉で特集が締めくくられた事で、出演した若者は
まるで恥をさらしただけみたいじゃないか。
そして何よりも、報道を扱うキャスターが「甘い」というような個人的で抽象的で俗っぽい言葉を「プロの仕事の現場で」使う事が
あまりにもひどいです。
報道は真実を伝えるのだとよく言いますが。
これこそ社会問題の上っ面だけを取材した上に
まったくその本質に迫らないまま、キャスターのありきたりな意見で
多くの若者への偏見を生み出す行為だと、思う。
「甘い」と思うのはどうしてか。
若者が「甘い」と言われてしまう原因は何か。
それを掘り下げたキーワードをひとつでも投げかけないで
何が「若者の問題」なのだ。
僕の思う事は。
「仕事を教えてほしいと聞かなかったんですか?」に言葉を詰まらせたこと。
若者の多くは「自分で考えようとしない」のだ。
誰に教えられなくても、問題にぶつかったら自分で考えてなんとかやってみようとしない。それでわからなかったら聞けばいいのだ。
簡単な事でいうと、例えば名刺の渡し方を知らなくても、先輩の行動をその場で真似すれば済む事だろう。電話応対も、企画書も、プレゼンのやり方も、そこらじゅうに転がっていて、いつでも、どこからでも見よう見まねで済む事なのだ。
それをせずに、初めから何でもすぐ人に聞くと大人は沈黙する。
それは「わからないから聞いた」ではなく
「考える気がない、自分でやってみる意欲がない」と思われるからだ。
自分のやりたい事じゃないから、とすぐ目の前の物を否定はするけれど、じゃあ何がやりたいのか?と聞かれたら、はっきりと決まっていないと言う。
若者は「やりたい事を見つけようとする」のではなく「やりたくないことを排除」する傾向にある。
それでは、いつまでたっても山の向こう側の街にはたどり着けない。
つったっているだけで、山の向こう側など、見えるわけがないのだ。
せめて地図を探して、山の向こうから来た人に声をかけて、
山を越える体力や技術をみにつけてはじめて、
その向こうにあるものは、なんとなく見えてくるぐらいだ。
それを大人は「自分でやってみろ」「自分で考えてみろ」
ということばで言い。
それをやらない人、それをやる意欲を感じられない人を「甘い」と言う。
「誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰る」ことができない人を「甘い」という大人もいるだろう。僕は、それは間違っていると思うが、それが必要とされる現場もある、とも思う。
しかし、他の社員はみんなそれをやってきたんだから、
というようなことを言う上司ではだめだ。
それは理由にならない。
なぜそれをやらなければいけないか、
それをやることが、どう若者の将来につながるのかを説明できなければいけないのが、いまの世の中なのだ。
そして、仕事を辞める事自体は別に悪いことじゃない。
まず仕事を続けない事が「悪」という判断基準で物をみていることがどうして?自分の力を活かせないなら、続けることより辞める事が自分にも会社にも良い事だと思うが。
しかし、そんなケースと「店長に怒られたからやめる」みたいなケースを同じ土俵で話し出したりする人とはもう、議論する意味もない。
これはあくまで僕の思う事だし、思ってる事のごくごく一部だけど。
とにかくキャスターの「甘い」というひとことが許せないんだ。僕は。