ある「事件」の話

毎月定例のコラムです。

もう10年以上前になるでしょうか、ある「事件」が起こりました。
詳細は伏せますが、それほど広くないコミュニティで起きた話です。
関わった人の多くが怒り、悲しみに包まれました。

私はその「事件」に興味を持ち、後から聞き取り調査を始めました。
既に事件の概要には、まとめられたサイトがあります。
ただもっと詳しい事を知りたい、そしてまとめて文書にしてみたい。
良く言えばジャーナリズムですが、悪く言えば興味本位でした。

聞き取りは始めは順調でした。
聞いた事のない話が次々と出てきて、現場にいた人ならではのディテールに興奮しなかったと言えば嘘になります。
人間関係がねじれて断絶した話を聞いても、そういう事も起こるよね、程度の認識でした。

しかし、異なった立場の人からも話を聞いていくうちに、徐々に事件の姿が変容をはじめます。
彼らは「事件」を大きくした、言わば悪役とでもいえる存在でしたが、彼らにも彼らなりの事情があった事が見え始めてきました。
事件を収拾するための努力もしていた事が分かりはじめましたが、これは先ほどのサイトではまったく触れられていなかった事です。
一方でそれを全く聞かなかった勢力が内部にいた事も分かりました。

それだけではありません。
同じ立場、同じ場所、同じ時間にいた人の証言の間でさえ、矛盾が生じはじめたのです。
しかし嘘をついた素振りはありませんでしたし、そもそも動機がありません。

まとめてみて分かった事ですが、当事者でさえも何が起こっていたのか、正確に把握していないのです。
私は実際にその時に居合わせた訳ではありませんが、聞き取り中にまとめた情報を話すと「知らなかった」という反応が多く返ってきました。
しかしその情報が正しいという保証はなにもありません。
聞き取りをする時は、他のどの情報より相手の話が正しいと考えるしかありません。
その人にとっては、その人が話す範囲が真実です。
相手の数だけ真実があるのです。

こうして話をしていく中で、私は事件の本当の巨大さと、問題を知りました。
「今更掘り起こしても無意味だし、そっとしておいて欲しい」
一人が発したこの言葉を以て、私はそれ以上調べる事をやめ、まとめる事もやめたのです。

「人の数だけ真実がある」
その事を痛感した出来事でした。
経験者の言葉は尊敬すべきですが、信じてはならないのかもしれません。
その人はその人の知る範囲の事しか話せないのですから。

この事件は、約10000人の人間が関係していました。
たかだか1万人です。
それでも事実は複雑怪奇で、今も誰も全体像の把握はできていないでしょう。

もし億単位の人が関わった事件だったとしたら、どう捉えればいいのでしょうか。
私には今も答えは見つかりません。

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