サイエンスアゴラで「日本で科学を文化にするためには」という議論がありました。
学術界の大物たちが居並び、自説が次々と展開されて、時間オーバーの最後に、少なくとも大学生には達していそうな若い男性が、「それで、今日の話の結論は、日本では科学は文化になっている、ということでいいでしょうか?」と質問しました。
サイエンスアゴラに足を運ぶ人というのは、たいがい、もともと科学に関心のある人です。とすると、彼がこういう質問をしたこと自体、どうやら日本では科学はまだ文化としては未成熟だといえそうです。
目の前にある現象をうのみにせず、仮説を立て、実証する。たくさんの彼が、自分で事実を確かめ、他人に答えを求めず、じぶんで判断できるとき、日本は、真に科学が文化としてに生活にとけ込んでいる国だといえるのではないでしょうか。
こういう論議に、もっと若い人や、学術界外の人、企業の人や、学生や、親子など、研究者でない人を、なぜ呼べなかったのでしょう。文化とはなにかという認識も、パネリストの間できちんとチューニングされていればよかったですね。
世間によくあるカルチャーセンターの講義というものがどういうものなのか、ありゅうるスタッフは知りませんが、話し手が聴衆の「レベル」というようなものを設定しているような気がしてなりませんでした。のっぽさんが「こども目線という言葉はが大嫌い」という記事を読んだところでしたが、聴衆への敬意があれば、あれほど黴臭いつまらない話にはならなかったでしょう。講義調の話も、教科書棒読みでないプレゼンの仕方であれば、もっと面白かったでしょう。話し手の職業・所属バイアスがこれほどまでに強くかかっていなければ、数十倍も面白い議論になったことでしょう。
学術界の思考や価値観・世間観がよくわかる議論ではありました。日本の未来を変えられる真の担い手は、何事もうのみにしないで自分で確かめることができる、倫理に長けて利他の心根をもつ、学術界の外の力でしょう(%雷%)(%雷%)(%雷%)