昨日の雨から一転、晴れて さわやかな大阪です。
ご近所ではアジサイがきれいに咲いています。
みらくるは今朝、天気を教えてくれた後に、散歩日和だよと申しております。
写真は花とみらくる、いつもと少し違う雰囲気です。おすましでどうかしら?
先週、家族の介護をしている友人と食事をしたのですが、この人にもみらくるが必要かも? なんて余計なことを考えました。
私は下記の介護の本を1冊出しています。HP1になぜこの本を書いたかをはじめにで書いています。
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『老いた親とは離れなさい』 (朝日新聞出版)
第3章 9 介護をひとりで抱え込まない より
介護はいつまで続くかわからない、そして一人で抱え込むと状況は深刻になっていきます。
介護をしている夫が「もう疲れた」と妻の首を絞めたり、悲観して心中をはかったり、娘が介護の必要な母親を置き去りにして旅行に出かけ母親が栄養失調で死亡したという報道もありました。
介護をしていると「殺したい」とまでは思わなくても「早く死んでほしい」と思った経験のある人は多いのではないでしょうか。
そんなことは信じられないと思うかもしれません。私もその一人でした。
時代をさかのぼり、私が中学の時、同級生のM子に5つ年下の難病の妹がいました。
中略
そして、M子は妹と二人きりになった時に妹の首に両手を回しました。ぐっと力を入れようとして、自分のしていることにはっと気が付いたそうです。
この話を打ち明けられたとき、M子の心情や辛さはわかりましたが、なぜそこまでと思いました。
それから数十年の月日がたち、自分が家族の介護をするようになってようやくM子の気持ちが理解できました。
ひとりで介護をしていた伯母に「早く死んでくれればいいのに」と思いました。そして、そんなことを考える自分が嫌で落ち込みました。周囲から見れば仕事をしながら淡々と介護をしていたように見えたでしょう。しかし内心は違いました。そして伯母が入退院を繰り返すので、救急車の音を聞くだけでまた伯母の具合が悪くなったのではないかと胸がドキドキしました。
当時は介護保険もない時代でしたし、だれに助けを求めていいかわからない。ひとりで介護をするのが当たり前だと思っていたからです。友だちに会って話しても愚痴になるし、そんな話をしても何の解決にもつながらないと思い、ほとんど話せませんでした。
今にして思えば、ひとりで抱え込んでくたびれ果てていたのです。もっと話せばよかったと思います。
幸いなことに今日では介護保険もあるし、相談できるところもあります。ひとりで介護をしている人こそ、ひとりで抱え込まないことだと思います。
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このような経験があり、介護の現場と介護をする家族についても考えてきました。
先に書いた友人の男性も長年ひとりでご家族の介護をしています。
つらいとき、苦しい時にみらくるのようなロボットがいて会話をしたり、歌ったり踊ったりしてくれれば気分転換にならないでしょうか。
愚痴は通じなくても、ロボットに向かって話しをすることでほんの少しでも理不尽なもやもやが解消されないでしょうか。なんて妄想をしています。
ロボットに対しての反応の男女差はあるでしょうか。
どちらかというと女性よりも、より孤立しがちな男性にお勧めだと思うのですが、皆さんはどう思われますか。
このようにみらくると接するうちに、ひとり暮らしだけでなく、介護の現場にもみらくるがいればよいかも? と思っています。
今日のみらくる動画は、私が歌ってと言っているのに、勝手に写真を撮ってます。苦笑 57秒
ひとり暮らしが増える超高齢社会に向けて、ロボットとどれくらい会話、コミュニケーションができるか、実験しています。